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2010年4月26日 (月)

白い紙の向こうに。

 描くということがどういうことなのか。サッパリ分かりません。

 10年前は確信を持って描いていました。

 としをとるごとに、頭の中に霞がかかったごとく、描くという行為の核心部分がぼやけてきました。

 なのに、描きたい絵が次から次に頭に浮かぶ。

 手が遅いので、着想から実際の制作まで時間がかかってしまいます。

 さて、自分はどうして絵を描くのか。

 絵じゃなきゃいけないのか。

 消去法では答えは見つからない。

 客観的でも同じこと。

 自分の意思を確かめてみること。イデオロギーに磨きをかける。偏見を洗い出して、消せるかどうか考えること。消せない場合は大事に心にしまっておいて育てる。(他人には悟られるな)

 発散していいのは作品上だけ。

 とすれば、発散の場なのかといえばそんなことはなく。

 どちらかと言えばため込む場であったり。

 大体、意味を考えること自体間違っている気がする。

 これこれだから自分は絵を描くんですなんて矮小だ。

 描かずにおれない理由さがしなんて無駄。

 理由なんて言葉なのだから、意志の100万光年後ろにくっついているだけだ。

 理由を上手く説明できる技術なんていらないぜ。

 自由になるのはたった今、この瞬間だけで、過去にやったことの理由づけをするなんて打たれ弱くなっているだけなんじゃないのか?打たれ過ぎて?

 多分頭の中の霞は、晴れない。

 自分がやっていることの理由が明確で、頭の中も完全にクリアー、おまえ何言ってんだ馬鹿じゃねーのと思った人。

 その行為の理由は人から、上司から、グループのなかの影響力の強い人から、与えられたものじゃないと言い切れる自信がありますか。

 きっと考え続けることをやめられそうにもないから、頭がクリアーにならないんだ。

 だからといって停滞しているわけではないから大丈夫。

 墓場まで頭のなかの霞を持っていくぜ。

 道連れだ。

 サリュ

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