« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

2012年5月31日 (木)

熊本市チャレンジ協働事業「創造都市を考える」公開プレゼン終了!アートスイッチが提案した「創造都市」の全部を公開致します。必見。

本日の公開プレゼンにて提案した事を掲載させて頂きます。

ネットは便利!

それではどうぞ~。

「人生という作品をつくる。医療、福祉の現場におけるアートの提案」

※提案中に出てくる組織、団体、個人とは正式に提携が決定したものではなく、あくまでプレゼンとしての提案であることをご理解下さい。

 最初に質問させて頂きます。

 どこで死にたいですか?病院ですか、施設ですか、自宅ですか?

 ここにいらっしゃる方々の中で、何人が自宅で息を引き取ることができると思いますか?
 …
 答えは全体の約10%、~この中で3人位です。
 あとの27人の方は病院か、施設で死を迎えます。

 財団法人がん研究振興財団によると、2020年には日本人の2人に1人はガンにかかるとされていますから、会場内のほぼ半分の方はホスピスか病院で最後を迎えるのが日本人の今の平均的な人生の終わり方です。

 次に、こちらの冊子を見ていただきたいのですが(熊本市発行の冊子)、政令指定都市としての熊本の魅力の一つに、医療機関の充実が挙げられています。目指す姿は「日本一暮らしやすい政令指定都市」です。今月の市政だよりも、表紙は医療です。

 今回、チャレンジ協働事業に提案させて頂くにあたり、「選ばれる都市」熊本市の持つ潜在力で最も高いのは「医療、福祉」と当NPOでは考えました。

 アートNPOであるアートスイッチでは、「医療、福祉とアート」による創造都市の可能性を提案させて頂きます。

②世界で行われている実例です。
 ・ホスピスとは主にがん、エイズの終末期ケアを行う施設です。世界で最初のホスピスはアメリカのコネチカットホスピスで創立は1974年です。ここでは、ホスピスアートプログラムとしてアートを医療や食事と同等の必需品として取り入れています。
 コネチカット州ではアートを取り入れないと、ホスピスとして州の認可がおりません。
 具体的には、患者のカルテには患者が供したアートの記録を書き込み、患者評価の際にも考慮されます。ここでのアートの取り組みは純粋にアートの為のアートであり、アートセラピーとは明確に違います。
 アプローチとしては、アーティストを含むケアチームは患者や家族と共にそれぞれのプロジェクトを進めます。生み出される作品のひとつひとつが、末期患者にはかけがえのない意味を持ち、自分の死後もあとに残った人たちに受け継いでもらいたいという思いが込められています。
 
 ・同じくアメリカのモンタナのNPO、リビングアート1993年創立では、病気や喪失感に苦しむ人々に、表現芸術と自然体験を通して全人的な癒しを与える活動を行っています。身体障害者対象の表現・自己発見活動や「ガーデニングライフ」ワークショップなど多くの重要なプロジェクトにも関わっています。教育プログラムを主催、講義シリーズを支援すると同時に、表現芸術の場作り等の活動も行っています。これらのプログラムでは、リサーチが重要な要素になっています。ワークショップをさまざまな方法で査定して得た結果からは、「個人でもグループでも参加者は苦しみが軽減し幸福感が増大するのを体験する」というようなことが客観的に分かります。

 ・北欧スウェーデンのヴィダール・クリニーケンでは人智学の創始者、ルドルフ=シュタイナー思想に基づく病院があります。一般的な病院機能に加えて、「芸術治療」と言われるものを行っています。治療オイリュトミー(舞踊)や音楽、絵画、線描、彫塑などがあります。アートとデザインで、患者の心と体の均衡を保つ手助けをしています。ちなみに熊本ではアート組織アート食堂3号線の創立者で、オイリュトミーの第一人者、宇佐美陽一氏が今は福岡に拠点を置かれて活動されています。

 ・他にもオランダのマニタス基金は、終身型高齢者アパートを建設しています。人権尊重を基に新しいアパートの形は経済的にも成功をおさめています。ストックホルムのシルヴィアホーム、日本ではNPO法人アーツプロジェクトがアートセラピーの面で活動を行っています。

 このように世界では医療、福祉とアートの関わりが深い先鋭的な活動が行われ、日本でもすこしずつ見られるようになってきています。

③QOL(クリティー オブ ライフ)の定義
 
 何故近年、医療とアートがこのように結び付き始めているのでしょうか。

 1990年と2002年に世界保健機構が「緩和医療」に対する提言を行っています。要約しますと、緩和医療とは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、的確な評価と処置を行う事です。その問題の種類には、身体的、心理的、社会的な問題に加えてスピリチュアルという項目が挙げられています。WHO(ダブルエイチオー)は、医療の問題として宗教的、哲学的、こころや精神、霊魂、魂といった
量では測れない、人生や生活の質の部分を緩和医療の課題としました。
 この、スピリチュアルという項目へのアプローチとしてアートが関係し始めています。今まで例を挙げてきました世界的な取り組みの例も、このような医療界の背景があるからです。

④具体的な提案
 ・次は、具体的には熊本市とNPOアートスイッチはどのようなアプローチをすればいいのかを提案していきます。事前に提出致しました提案の補足と、さらなる発展形までを提案いたします。
 ・この地図を使って提案していきます。
  最初に考えました事は、いきなり医療にアートを持ちこむのではなく、逆にアートに医療を持ちこむ事です。これは、今現在熊本市のデイサービスでも同じような事が行われています。レクレーション後に血圧を計るなどの医療行為に準じた事をしています。
  スタートラインは、長くコンスタントに続ける基盤を作る事です。その為に、今現在公的施設で休眠している場所を使用する事を提案させて頂きます。今回の例では、旧熊本西保健福祉センター(現熊本市保険センター新町分室)を拠点として様々なアプローチを致します。これはあくまで例ですので、今現在この施設が休眠しているという事ではありません。
 

 ここをプラットフォームと仮に名付けます。病院、小中学校がなるべく近い場所を想定します。この例のプラットフォーム近辺では熊本医療センター、福田産婦人科、服部胃腸科、一新幼稚園、一新小学校、西山中学校、五福小学校を使用する人々をアプローチの対象とします。
 

 プラットフォームでは、期日と時間を決めて様々なアーティストによるワークショップを行います。音楽、演劇、絵画、塑像、洋裁、様々な種類のアーティストによる多彩な展開をします。
 

 学校や病院を利用されている方々に、興味があるワークショップに職種年齢性別問わず、気軽に参加して頂くシステムをつくります。
 

 このシステムも、新しい組織をつくるのではなく、既存の熊本にある組織のネットワークでリデザインします。例として音楽では平成音楽大学やオハイエくまもと、ジャンベの会、ダンススタジオ等。アートでは崇城大学芸術学部やアート食堂3号線等の組織、河原町のクラフト&フォークアートのネットワーク等。演劇では市民舞台や劇団きらら、熊本の劇団有志、その他コモドアーツプロジェクトやウルトラハウス等様々な組織と負担のない連携を図り、ワークショップの充実を目指します。そのワークショップ時に、簡単な健康診断等の医療関連の行為を行えるシステムも同時につくります。その際に医療従事者の方々にもワークショップに参加して頂き、アートに対する理解を深めて頂くと共に、アート関係者に医療関連のレクチャーを行って頂きお互いの理解を深めていく場を作っていきます。
 

 ここでリサーチした参加者の個々の情報をもとに、もっと高度な表現を求める方にはチームを組んでアプローチを行います。楽しく気軽にしたい方にも個々にプログラムを組んでいきます。アートとアートセラピーを区別しながら個々にきちんとアプローチします。
 

 近隣の医療施設へは、プラットフォームで制作した作品の展示をする場所を提供して頂き、デイサービスでは演劇、音楽、ダンスを発表など、最初は活動の理解をお互いに深める為に出来る事からアプローチ致します。
 

 高度な表現を求める方々とサポートチームには、この活動に理解をして頂くスポンサー企業を探して協働で事業を展開して行けるような形を構築します。例としては、絆創膏の柄のデザインをこのチームで展開して行く、企業で荷物発送時に使う段ボールのデザイン、製薬のパッケージデザインなど、熊本市と民間、医療の協働デザインという付加価値で医薬品企業などへアプローチしていく道も考えられます。
 

 公的な医師会、医療系の組織、患者や福祉の組織へホームページのリンクを貼っていく事で、医療界への熊本市としての取り組みを知らせる事が出来ます。
 

 このようなシステムを先ずプラットフォームという形で試験的に展開し、十分にネットワークとシステム、データの蓄積を再評価しながら、緩和ケア施設、デイサービス、病院、老人保健施設等で各々の施設の特性に柔軟にクリエイティブクラスのネットワークが展開できるようになれば、初めて医療の現場にアートが機能的に存在できます。
 

 ・この事業は、資金的には効率的に、事業の成果としては広範囲に渡ります。「医療、福祉とアート」という角度で医療関係とクリエイティブクラスが結びついて熊本の個々に活動している組織がゆるやかに繋がりネットワークがリデザインされた時、創造都市としての熊本市の姿が立ち上がります。
 
⑤医療、福祉とアートを提案する意義 
 熊本市の医療界のたゆまぬ努力で、熊本は全国でも有数の、安心して暮らせる都市です。さらにそこに、人生にいきがいを見いだせる取り組みを行政と民間、医療、産業界がスピリチュアルな面から取り組んでいるという姿勢が、これからの10年には重要になってくる事は間違いありません。現在ユネスコで規定されている7つの創造都市の条件に狭義の意味で医療、福祉はありません。しかし熊本の既存のクリエイティブクラスが医療、福祉を核として価値ある都市をデザインしていくならば、佐々木雅幸先生の定義する創造都市「市民の創造活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題や、あるいはローカルな地域社会の課題に対して、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市」にまさしく当てはまる事業です。
 

 創造都市、熊本として、既存の枠に囚われない、本当の意味で全く新しい価値を生み出す都市として選ばれる熊本市の姿を提案させて頂きます。
 

 以上です。ありがとうございました。

 NPOアートスイッチが何を目指しているのか、公開できただけでも意義のある機会でした。一生をかけて挑んで行くテーマです。今回、真剣に具体化してみてどうしてもこれはやらなければいけない事業だと確信しています。

 採択事業は、来週半ばに分かります。

 緊張しますね。

 サリュ

Will be published that you have proposed in today's public presentation.

Net is convenient!

So - please.

"Proposal of Art in the medical field. To create a work of life, of welfare"

※ come out in the proposed organization, organizations, individuals and what is not alliance has been determined officially, please understand that it is proposed only as a presentation.



We will first question.

Where do you want to die? Or hospital, or is a facility, you are at home?

Do you think people come in here, and be able to pick up your breath at home many people?
...
The answer is about 10% of the whole, this is a person's rank in 3 ~.
27 people or more after hospital, will celebrate the death in the facility.

According to the Foundation for Promotion of Cancer Research, because you have been in 2020 one would take the gun in two of the Japanese, the Japanese way of almost half of the venue is that it marks the last in a hospital or hospice the end of life is how an average person now.

One of the charm of Kumamoto (Kumamoto booklet issued), as designated cities, full of medical institutions have been listed below, I would like to see the brochure here. His aim is "livable ordinance-designated cities in Japan." Than this month's municipal government, is medical cover.

In this time I thought this NPO, upon proposal to be allowed to challenge industry 働事 cooperation, it has the highest potential of Kumamoto City "chosen" is "medical care, welfare and".

In a switch that is Art Art NPO, we will propose the possibility of a creative city by "art medical care, and welfare."

This example has been done in the world ②.
, And hospice is a facility for end-of-life care of cancer, mainly AIDS. The first hospice was founded in 1974 is the year in Connecticut Hospice of America in the world. In this case, has been incorporated as a staple food and the same as hospice care and the art program art.
If you do not incorporate in the state of Connecticut is an art, not the state's approval as a hospice.
More specifically, the patient's chart will write a record of the art patient was subjected, will also be considered when evaluating patients. Efforts of art in here is purely art for art, and art therapy is a clear difference.
As an approach, the care team, including each artist is working on a project together with patients and their families. Rice have been feeling that I want to carry on our work every single human being born, to terminally ill patients have a sense irreplaceable, also left after his death.

• In 1993 NPO founded in the United States of Montana, Living Art is engaged in activities to people who suffer from illness and sense of loss, giving the healing of the whole person through the experience of expressive arts and nature as well. Have also been involved in many important projects such as "Gardening Life" workshop self-discovery, expression or activity of target persons with disabilities. Sponsored by an educational program, to support the lecture series at the same time, we also make activities such as field of expressive arts. These programs, research has become an important factor. "Participants will experience from growing too large feeling of happiness suffering is reduced in the group in the individual" you can see the objective things like that, from the results obtained by assessment in a variety of ways workshops.

• In Vu~idaru-Kuriniken of Sweden there is a hospital-based Nordic founder of anthroposophy, Rudolf Steiner thought. In addition to general hospital, we have what is referred to as "art therapy". There and music (dance), painting, drawing, sculpture and Eurythmy therapy. In art and design, we have to help you keep the balance of body and mind of the patient. In Kumamoto is the founder of Art cafeteria line 3 arts organization, guru of Eurythmy, Yoichi Usami is now the activity has been placed based in Fukuoka way.

Manitasu Fund of the Netherlands, we're building an elderly apartment life other type. The form of a new apartment has been successful both economically and based on respect for human rights. Sylvia home in Stockholm, arts project in Japan (NPO) has activities in terms of art therapy.

Activity and aggressive involvement in the world of art medical care, welfare and deep is made in this way, it has become little by little to be seen in Japan as well.

Definition of (chestnut tea of ​​life) ③ QOL

In recent years, what ties are beginning to like this why medical and art.

We are the recommendations for "palliative care" is the World Health Organization in 1990 and 2002. In summary, palliative care and is that for patients and their families face the problem of life-threatening disease, make a precise evaluation and treatment. The type of problem, the item that has been cited spiritual in addition to physical problems, psychological and social. WHO (Double-O-CH), the religious, philosophical, mind and spirit, soul, and soul as a matter of medical
Palliative care issues and was part of the amount can not be measured, of life and quality of life.
Art has been implicated as a beginning approach to this field, called spiritual. World examples of efforts has been an example until now, is because there is such a background of the medical community.

④ concrete proposal
-Next, we'll propose to specifically switch and NPO Art Kumamoto or should I approach what. And supplement of the proposal we submitted in advance, we will propose a further development to form.
-Will continue to propose using this map.
It was first thought, rather than suddenly bringing art to medical care, medical care is to bring art to reverse. This is the same thing in the day service in Kumamoto have been made now. Has been that according to medical practice, such as measuring the blood pressure after recreation.
Start line is to create a constant basis to continue long. We will suggest that you use for that location, which might be dormant right now in the public facilities. In this example, will a variety of approaches and is based in (Kumamoto Branch Shinmachi Insurance Center now) former Health and Welfare Center, Kumamoto west. Since this is just an example, does not mean that this facility is now dormant.


Suppose you named as a platform here. Assume that the location of hospitals, primary and secondary schools is as close as possible. Platform in the vicinity of this case is also the object of approach people to use Kumamoto Medical Center, Department of Obstetrics and Gynecology Fukuda, gastroenterologist Hattori, renewed kindergarten, elementary school renewal, Nishiyama, junior high school, an elementary school Gofuku.


In the platform is done by various artists workshops decide the date and time. Allows you to deploy a variety of artists by type of music, theater, paintings, statues, dressmaking, and various.


People are using schools and hospitals, regardless of age, sex, makes a system job in the workshop you are interested, Please feel free to join.


This system also, instead of creating new organizations, in an organization's network re-design existing in Kumamoto. In music Kumamoto Ohaie meeting, the djembe and Heisei College of Music, and Dance Studio as an example. No. 3 in tissues such as art and art cafeteria Sojo University, Faculty of Arts, Craft & Folk Art of the network, etc. Kawaramachi. In the theater troupe aims to work without the burden Kirara stage and citizens, volunteer troupe of Kumamoto, and various organizations such as Komodo arts projects and other ultra-house, we aim to enhance the workshop. At the time of the workshop, the system can also make the act of medical diagnosis, such as health simple. Make the field will participate in the workshop also people of health care workers in that case, as well as deepen their understanding of the art, to deepen understanding of each other we lectured medical-related stakeholders Art will continue.


Based on the information of the individual participants that research here, for those seeking a more sophisticated representation is done in a team approach. We will also individually formed a program for those who want to feel happy. The individual approach while properly distinguish between art and art therapy.


To medical facilities nearby, the will provides a place to an exhibition of works created on the platform, in day service such as presentation theater, music and dance, the first approach from that can be done to deepen the mutual understanding of the activity will.


To those who seek representation and support team advanced, you build a form like go to expand the business in collaboration looking for corporate sponsors to get an understanding in this activity. As an example, a pharmaceutical company in the added value of design collaboration, such as package design going to expand on this team the design of the pattern of adhesive plaster, the design of the cardboard to use when sending luggage companies, pharmaceutical, and private Kumamoto, medical also considered, such as the way to go to approach.


By organization we put a link on the home page Medical Association, the public health system, to the organization and welfare of the patient, you can inform the efforts of the medical community as to Kumamoto.


Expand on a trial basis in the form of a platform first such a system, while re-evaluate the accumulation of networks and systems, and enough data, the characteristics of the facility each and palliative care, day services, hospitals, etc. Geriatric Health Services Facility If you come to be able to expand the network of creative flexibility in class, art can exist in function to the medical field for the first time.


· This project, more funds efficiently, as a result of the project will be wide-ranging. When the organization has been active in the individual Kumamoto tied creative class relations and health care at an angle of "art medical care, welfare and" network connection has been re-designed to gently shape the city of Kumamoto as a creative city is rising .

Significance of the art medical care to suggest ⑤, welfare and
Tireless efforts of the medical community in Kumamoto City, Kumamoto is one of the largest in the nation, is a city where people can live with confidence. Attitude that there, that are working from government and private spiritual aspects, medical, and industry initiatives to life more Miidaseru the outside, in the next 10 years will become more important there is no doubt. Medical care, welfare is not in the narrow sense of the terms of the creation of seven cities that are currently specified in the UNESCO. If you go to design a city with a value as a core health care, welfare creative class existing in Kumamoto, on the basis of exercising their freedom of creative activity of citizens "creative city to the definition of teacher Masayuki Sasaki, in culture and industry but rich in creativity, at the same time, with a flexible, innovative urban economic system of mass production prolapse, for issues of local communities, if the creation of such "make a creative problem solving, or global environmental problems and business is very true to the city "rich".


We will suggest the appearance of Kumamoto city to create value is chosen as an entirely new creative city, as Kumamoto, defy the boundaries of an existing, in the real sense.


Is over. Thank you.

What we are aiming what the NPO art switch was even just a meaningful opportunity to publish. Theme is challenged to go over a lifetime. This time, I'm sure it's a business you have to do absolutely seriously try to embody.

Adoption of business, you can see in the middle of next week.

I get nervous.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月26日 (土)

パステル画新作制作進行中。久々の制作途中画像アップ!

 色んな企画を進行中ですが、絵描きは絵描いてなんぼなので当然描いております。

 「四神 朱雀」 S100号縦です。

 ごく一部を久しぶりに画像アップ。

Photo

 この時点で純粋な描画時間は50時間位。

 パステル画というのは、定着性がない粉を画面上に塗りつけ、定着液で定着させながら描いて行きます。描いている時は、粉が下へ落ちまくって画面を汚しまくりなので、このように上から完成させながら制作して行きます。

 なので、途中でバランスがおかしい事に気づいても後の祭り。修正はほとんどききません。まさに一発勝負な画材と言えます。

 四神である朱雀と現代五美人図の構成になります。

 と言いながら、五美人中二人は顔が見えない… 美人かどうか分からない…

 想定完成時間は200時間前後になるでしょう。

 サリュ

Although a lot of planning is in progress, painting and drawing course is Nambour so drawn picture.

Issue is vertical S100 "Suzaku four God."

Up a small part of image a long time.
50 hours of drawing time pure ranks at this point.

It is called pastel, powder smeared on the screen there is no fixing, we will draw while rooted in fixing solution. When you are drawing, so pollute the screen rolled down to the lower powder earnestly, we will continue to work while on this way from completion.

So, too late realized that the balance in the middle of funny. Most of the hotfix does not hear. And art supplies can say that just one-shot deal.

It becomes a beautiful figure of the god Suzaku and modern four five.

She said, and two people in five beautiful face is not visible do not know whether beauty ...

Expected completion time will be around 200 hours.

Saryu

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月24日 (木)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」完結。

 0年代の有名アーティストはご存じ村上隆、会田誠、奈良美智などなど。現在もトップランナーですね。

 今ふと思いましたが、このアーティストの並びって、キッチュの体現者ですね~。70年代に一部の表現者が主張していた「キッチュ」の正当な後継者という気がしてきました。

 0年代は、個人的には社会に出て、日本って思っていたより結構滅茶苦茶な国だなと実感しました。この年代の最後の顕著な政策は、政権交代があって事業仕分けで90年代から培ってきた産業、文化クラスター事業(産学官の連携事業)を潰した事でしょう。

 もうね、先端技術開発に投資しないなんて、20年後の日本は死んでもいいと言っているようなものですから。今はA-STEPとかいう、めっちゃ縮小化した事業になってしまっています。

 個人的な0年代の思い出は、何十社も入社試験受けても全く合格しないし(自己責任と言われる)、お金は必要だからとりあえず派遣で働いていたらいきなり首切られるし。

 職業訓練校に半年行って、また何十社も受けて全く合格せず。

 必要とされていない人間なんだな、結局。入社試験に落ちまくると、本当に気持ちが荒んできます。あれはヤバイ。

 派遣切りされた人だったり、派遣社員が0年代に起こした事件を思い返すに、ひどいと思う反面、人間をこうまで蔑ろに扱ったらそうなるだろという気持ちがあるのも嘘ではありません。ネットの充実で、人間関係がタコ壺化し始めたのも大きい要因だろうと思います。

 通り魔殺人と、学校への乱入殺傷事件が世間を騒がせました。

 2009年派遣切り。

 あの時自分が絵を描いていなかったら。アートに興味も全くなく、酒とかギャンブルが楽しみだったら…怖いですね。他人に鬱憤の矛先を向けそうです。

 そういう人は、大勢いるでしょう。どこに怒りの向けようもなく、一人ため込んでいる人が。誰のせいでもないのか。本当に自分だけのせいなのか。何の才能もない。特技も実務経験もない、年は取る。人づきあいが苦手だ。夢とか目標も特にない。毎日穏やかに過ごせればそれでいい。

 そういえば草食男子という言葉もあったな。

 こういう風に、自分の内部に目を向けるようになるのは当たり前の事なのです。

 今まで書いてきたように、戦後の先達達は、焼け野原だった日本を死ぬ気で今日の経済大国にまで押し上げました。

 何のために?

 自分の子らの世代には、自分達のようなきつい経験をさせない為ではないですか。

 若い時に何の楽しみも知らなかった。学校に行きたかった。経済的にも苦しくて、必死に働いた。

 そして、目標にした日本はほぼ実現しました。24時間働かなくても、まぁ生きていける。高学歴社会になった。世間に娯楽は溢れている。昔程仕事のみに集中せず、プライベートを重要視するようになった。初期のフリーターとか、最もたるものでした。

 目標を一時は実現したはずなのに、今の日本は閉塞しているように見える。

 何故か。

 自分の内面に目を向け始めたからです。

 内面。

 アーティストなら当然、その端くれたる自分でも知っていますが、自分の内面は想像を絶する暗闇が広がっています。それはお前だけだよって?違います。人間の内面の本質が、闇でなかったならば人間の世界に「宗教」も「哲学」も生まれる必要性はありません。

 80年代に大量消費社会を実現させて、娯楽文化隆盛でどこかにおいやったかに見えた本質も、本質であるからこそ0年代では表面に浮上してきました。

 人である以上、この事から逃げる事はできない。

 0年代から10年代に入り、日本は経済的にも地盤が崩れかけ、さらには震災で精神的にも新しい困難な局面に立たされました。

 心の闇からも、実際的な現実の困難からも逃げる事はできない。

 人の闇を照らす光が宗教、哲学であるなら、それを人種や文化を越えて作品として表出する手段のひとつとして「アート」が期待されていると、解釈しています。

 その具体的な取り組みシステムこそが、熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」です。

 「宗教や哲学を形に表出するシステム」がアートが持つ、創造力の根源である事は疑いようもありません。

 日本人は無宗教だと言われますが、そんな事はありません。宗教が辿ってきた歴史に無知なだけで、意識にはくっきりと「信仰心」があります。

 宗教の役目は、どんな宗派であれ「信仰心」を持たせる事ですから、特別学ばなくてもそれを身に付けている日本の宗教システムは特に優れていると思います。

 自分には信仰心がないと思っている人も、愛する人が死んだ時遺体をゴミ捨て場に捨てはしないでしょう?

 捨てる事が怖くないですか?怖ろしくないですか?理由は深くは分からなくても、それが信仰心です。ちなみに、特定の宗教に入信する事とは全く違います。

 「創造都市」とは、人間の本質に迫る取り組みが、経済を生んで行く試みだと考えます。

 創造性と精神性が生みだす都市の新しい形。

 是非、わが街、熊本市でこの目で見て見たいです。

 サリュ

Famous artist Takashi Murakami's 0 you know, Makoto Aida, etc. Yoshitomo Nara. It is the top runner today.

But now suddenly I thought, What sequence of this artist, who - it is the embodiment of kitsch. Mind that the legitimate successor of "kitsch" who had claimed some representation has been in the 70s.

Age 0, and I realized I was pretty messed up country to personally appear in society, from Japan was even thinking. Significant policy at the end of this age, would have crushed the industry has cultivated since the 1990s there is regime change in the sorting business, business culture cluster (business cooperation among industry, academia and government).

Because like I already said that, I do not invest in developing cutting-edge technology, Japan is also good after 20 years dead. Now Tokayuu A-STEP, has turned into business was shrinking really hard.

Personal memories of ages 0, suddenly I cut the neck when working in the dispatch time being (referred to as self-responsibility), I need money because it does not pass at all entrance exam also received dozens.

Pass completely without also also received dozens, half a year go to vocational schools.

I'm human they are not needed after all. Failed the exam and joining spree, feel as if I really hamstrung in. It is SICK.

Is not a lie that there is an feeling that will become so in remembering the incident or was who had been off temp, temporary employees has filed to age 0, the other hand I think a terrible, if you treat neglected to ask for a human. I think that would factor in the large enhancement of the net, also began to over human relations octopus pot.

Homicide and assailant, intrudes into the stabbing incident to school has been shaking the world.

Sent off in 2009.

If you do not have their own painting at that time. Not at all interested in art, it is scary ... When alcohol or gambling was fun. Yes for the brunt of anger to others.

Such people will have many. As for the anger to no where, is a hoarder people. Why nobody's fault. What really made of your own. What no talent. No work experience also feats, will take years. I'm not very good with people Zukiai. No particular goal or dream. If it is good Sugosere gently every day.

I was also the word that you mention it herbivorous boys.

In this manner, it will look like inside of yourself is it a matter of course.

As we have written up to now, our senior leaders of the postwar period, was pushed up to today's economic power in Japan I was burned to death.

What for?

Generations of the sons of your own, is not it because the experience is not tight like themselves.

Did not even know what to look forward to when young. Wanted to go to school. Misuzu also economically, worked desperately.

Japan, and with a target has been achieved almost. Without work for 24 hours, can live Well. Became well-educated society. Is full of entertainment to the public. Without having to concentrate on work only so long time ago, began to attach great importance to private. Freeters or early, was a most barrel.

Temporary but was supposed to achieve the goal, Japan now seems to be blocked.

For some reason.

Since started to look into his inner.

Inner surface.

Naturally, it also knew that if their own barrel Hashikure artist, his inner darkness has spread beyond imagination. Does it have to be I'm just you? Different. The essence of the inner surface of the human, born also need "philosophy" even "religion" in the human world if there is no darkness was not.

Nature also looked like a mass consumption society is realized in the 80s, drove to somewhere in the prosperity or entertainment culture, in the age 0 has emerged to the surface because what is the essence.

There were more, it can not escape from this thing.

From age 0 to age 10 to enter, Japan is crumbling to the ground economically, has been facing a new and challenging aspect further in the earthquake also mentally.

That escape from the darkness of the heart, also from the difficulties of a practical reality that can not be.

Light illuminates the darkness of human religion, if it is philosophy, and are expected to have "art" as one of the means of expression as a work beyond race and culture it has been interpreted.

What is system specific efforts that, is "creative city" think local artists Kumamoto.

That "expression system to form a religion and philosophy" with art, is the root of creativity there is no doubt.

Although the Japanese are said to have no religion, there is no such a thing. Simply ignorant to history religion has been followed, the consciousness has "faith" and clearly.

I think the role of religion, since it is to have a "faith" be any sect, religious systems of Japan that even without wearing it is better to learn particularly special.

Also, some people may believe that there is no faith in yourself, you probably do not want to dump the bodies thrown away when a loved one died?

Is not afraid to abandon? What terrible wards? The reason is even though you do not know how deeply, it is faith. By the way, and to religion in a particular religion is completely different.

And "creative city" is, I think close to the essence of human effort attempt, go birth to the economy.

A new form of urban creativity and spirituality can give them.

Come, my town, I want to look at this eye in Kumamoto City.

Saryu

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月22日 (火)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」⑥。

 長々と書いています。

 しかし、この認識が無かったら、今まで描いてきたパステル画も魅力半分ですからこの機会にこういう事を書いておきます。

 絵を描くときに、いちいちこんな事考えるのかと問われれば、もちろん考えます。

 100倍は情報量として考えます。

 本当にザックリ書いています。今回。

 で、バブル崩壊。90年代の始まり。

 90年代半ばごろ、バイトしたり酒を飲みだしたりし始めの頃、日本を揺るがす大きい事柄が連発します。オウム事件、阪神淡路大震災、酒鬼薔薇予聖斗事件。宗教、自然災害、少年法。今でも解決策などでそうにもない問題が噴出。

 クラブに行っても~狩り(当時はおやじ狩りという言葉が初出)全盛。

 クラブイベントとして個展をしましたが、常に危険はありました。当時のクラブは楽しい所ではあったのですが、明るいオープンな場所では無かった。ケンカ禁止の張り紙がしてありましたね。

 80年代とはうって替わったカルチャーですが、当時としては10年前の景気をしらないから、そんなもんかという感覚でした。

 産業界では98年に「新事業創出促進法」…事業計画の立案研究、生産販売までの構築(地域プラットフォーム)を打ち出します。国主導から地域主導へ大きく変換した年でした。

 どういう事かというと、事業の主体がどんどん細分化されていっている感じです。消費社会も成熟に向かい、3種の神器的な国民が総出で欲しがるようなものは飽和状態です。日本は内需の国ですから、国民の細かいニーズに企業は細やかに対応していく時代に突入しました。

 これからは、地域特有の資源を使い、研究し、販売して行こうという事です。

 ここで、今につながる問題は、企業立地(誘致)という外部要因を地域産業活性化の主軸とした事でしょう。

 何が問題って、その事業が立ちいかなくなったら終わりという、20年スパンで見たらとてもリスキーな選択だからです。半導体王国九州では、深刻な産業の空洞化が進んでいるのではないですか?エルピーダメモリが上場廃止というのは凄いインパクトだと思います。

 主に半導体企業の集積を行ってきたかに見える熊本。それでは、産業クラスターによる新規事業と研究が順調に行われてきたかというと、あまりその成果は見えません。長期的に見ても、何か新しい製品が開発されて(ハードが)バンバン売れて生産も右肩上がりになるとは考えにくい。

 90年代に20代になり、世に出た時から不況という状況の中、0年代に入って行きます。

 熊本市という目でみればこういった工業系の事よりも、2000年に実施されたあの法律が街を大きく変えていきます。

 「大規模小売店舗立地法」

 サリュ

Has written at length.

However, If you do not have this recognition and write such things on this occasion is one-half from the attractive pastel has been drawn up to now.

Once when asked to draw a picture, and I think such a thing Ichiichi, consider the course.

100 times is considered to be an amount of information.

I write really roughly. This time.

Is, the collapse of the bubble. Beginning of the 1990s.

The mid 1990s, the early days, big things will shake Japan out drinking or barrage or bytes. Parrot incident, the Great Hanshin-Awaji Earthquake, Sakakibaraseito, natural disasters, the Juvenile Law. No ejection problems, such as layered solution still.

Prime (the first occurrence of that word at that time my father hunt) hunting - even after the club.

I have a solo exhibition as a club event, there was always danger. Club at the time, but it was fun in the place, in an open place was not bright. It was then that the ban fight poster.

80's and is selling culture has changed, as at that time because we do not know the economy 10 years ago, I was feeling that 's what happened.

98 years in the industry is to study business planning ... "Law for the Promotion of new business creation", and announced a (platform area) building up production and sales. It was the year were converted from big to country-led regional initiative.

And say what I mean, I feel principal business is going steadily been subdivided. Opposite to the mature consumer society, like the people he wants is an Sode three sacred treasures of the state is saturated. Japan is a nation of domestic demand, company has entered an era of personalized continue to respond to the needs of the people fine.

From now on, use the resources of the region-specific, the study is that going to sell.

Here, the problem lead to Now, that would be the main axis of the Regional Industry Revitalization external factors that business location (attract).

Because it is very risky choice problem, I just, once it is no longer the end that its business is what Standing squid, in the span 20 years. In Kyushu semiconductor kingdom, or is not it the hollowing out of industry has advanced serious? I think that it is delisting's Elpida Memory and great impact.

Kumamoto seems to have been carried out mainly integrated semiconductor company. So, to say it has been done and how well new business and research by industry cluster, and the results are not visible too. Also look at the long-term, production will be sold to soaring Bambang (hard) have been developed something new product is unlikely.

In the situation from the time of recession will be in their 20s to 90s, came out into the world, we come to the age 0.

Industrial system than that of these, the law that was implemented in 2000 will continue to dramatically change the city If you look at that eye Kumamoto City.

"Large-Scale Retail Stores Location Law"

Saryu

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月21日 (月)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」⑤。

 1980年代に義務教育を、熊本で受けていたというのはどういう事なのだろうと思います。

 熊本は基本的には、バブル経済はほぼ関係なかったのではないでしょうか。それでもバブル期の文化は全国を席巻しました。一番はやっぱりファミコンでしょう。ゲームとはいえ、家庭内にコンピュータが導入されたのは大きいと思います。

  産業界ではテクノポリスが構成され始めます。熊本にも若干の企業が誘致されたと思いますが、高度な工業技術を生み出せる研究機関が発展するほどにはないように見えます。工場も研究機関というよりは、ライン生産がほとんどではないでしょうか。

 バブルというのはつい先年のエコポイントと同じで、需要の先食いだったのでしょうか。そうでしょう。不良債権は今でも日本の足を引っ張っています。世間の大人が浮足立った文化を享受(ディスコ、イタ飯、アッシー・メッシー君、ソース・しょうゆ顔等)。大人というより、子供心に女子大生ブームを覚えています。

 日本のアートシーンは、強烈なメインストリームみたいなものは、ありません。もちろん個々に重要なシーンはあります。いわゆるアートプロジェクトが企業メセナで行われたりしています。しかし、当時アートというものにほとんど興味がなかったので、リアルな体験としてのアートは90年代に入らないとありません。

 80年代はあらゆる意味で特殊な気がします。特に85年のプラザ合意以降の銀行と不動産は異常です。いつかやってくる終焉に向けて、壮大なババ抜きをしたとしか思えません。

 90年代を失われた十年と形容するのは、何か嫌な気がします。その年代が青春時代だった訳ですから。失われた二十年とかになると、人生の前半ほとんど失われてるよとなります。派遣で働いていた時も、やたら同じ年代が多かった。上も下もあんまりいませんでした。ひしひしと、何かおかしいと思っていました。

 産業界が大規模経営からどんどんクラスター化していくのは、プラザ合意以後、工場の海外移転が進んで行き、将来的には高度な技術開発の分野でしか産業が成り立たないという先見の明があったというよりは、自然とそうなったと考えるほうがしっくりします。円高が進めば、先ず簡単な作業の工場が海外へ流失して、国内では特許事業が優先されるでしょう。

 今の職業訓練校にも、当時海外工場で技術支援をした技術工(旋盤とかが主)が技術を教えています。

 そして、いよいよバブル崩壊。

 サリュ

I think it that it was received in Kumamoto compulsory education, in the 1980s and probably you mean.

Kumamoto is basically, or will the bubble economy that was not nearly did not matter. Culture of the bubble period was still sweeping the nation. Most will Yappari NES. However the game, I think it was the introduction of computers in the home is greater.

 
Technopolis in industry will begin to be configured. Although I think that some companies are also attracting Kumamoto, it looks like that is not enough advanced industrial technology research institute Umidaseru to develop. Rather than factories and research institutes, or would not be nearly production line.

It is the same as that bubble of yesteryear with eco-points, what was eating the tip of the demand. Will be. Nonperforming loans are still pulling the foot of Japan. Enjoy (disco, rice plates, you assy-Messy, such as soy source face) the culture of the world adult has Ukiashida~tsu. Rather than adult, college student you remember the boom children in mind.

The Japanese art scene, like a main stream is strong, it does not. Important scene is located in the individual course. So-called art project has been or is done in corporate philanthropy. However, it is not because there was no little interest in what at that time called art, art as experience realistic and do not fall in the 1990s.

80s will feel special in every sense of the word. Bank and real estate after the Plaza Accord of 1985 is particularly unusual. I do not think sometime toward the end coming, and only had a grand old maid.

It described as the lost decade 90s, I feel something bad will. Since age is a reason that was a youth. When the will was lost or twenty years, and I have lost almost half of life. Even when I worked in dispatch, there were many the same age profusely. Also was not much on the bottom also. And acutely, I thought something wrong.

Going to have clustered rapidly from large-scale management is industry, there is foresight after the Plaza Accord, overseas transfer of the factory went willingly, and in the future that does not hold industry only in the field of advanced technology development think more, rather than the other, became so harmoniously with nature will. Proceed if the yen, the erosion of a simple task to overseas factory First, in the domestic business will be priority patent.

Also vocational training schools for now, the technology has been teaching engineering technology that technical assistance overseas factory at that time (mainly or lathe).

And finally the collapse of the bubble.

Saryu

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月18日 (金)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」④。

 60年安保と70年安保では、敗北感が全く違いました。

 死者は出る、逮捕者は出る。

 70年代は、政治の季節は過ぎ、成熟した社会へと激しく動きます。

 80年代へ向かうにつれて、経済大国にのし上がって行く日本。ものをつくって売る。当たり前の事を、血道をあげて合理化と機械化で利益幅を上げていく時代です。日本へ資本が世界から集中して行く中、80年代にはテクノポリス構想や、地域ネットワークが、産業界では提案されます。

 地方に工業団地をつくり、技術やネットワークを集積しようというものです。熊本だと大津辺りが巨大なテクノポリスですね。

 ちなみにここの半導体の工場で5年働いていて、2009年のリーマンショックの時に派遣切りに遭いました。

 ので、無関係ではありませんし、企業内で産業クラスターの取り組みが実際にどう行われていたか、少しは知っています。それはもう少し後の話し。

 80年代は多分日本にはもう二度と来ない、大量消費社会が現れます。

 そう、この年代に義務教育時代を生きたのが自分です。

 サリュ

Security and security in 70 years 60 years, was completely different sense of defeat.

The dead come out, come out arrests.

70s will move violently to the season of political society too, mature.

As Japan toward the 80s, go Noshiaga~tsu economic power. Sell ​​them things. Age is going up the profit margin in the rationalization and mechanization raised Chimichi, a matter of course. Concentrated in the capital will go to Japan from all over the world, the 1980s concept and Technopolis, the regional network, is proposed in the industry.

Create an industrial park is in a rural, that attempts to integrate technology and network. It is a huge Technopolis per Otsu's and Kumamoto.

Have worked five years in the semiconductor factory here, encountered the cut at the time of the collapse of Lehman Brothers sent the way in 2009.

So, it is not irrelevant, or if in fact had been made of industrial cluster initiatives in the enterprise, you know a little. It is a story of a little later.

1980s in Japan, maybe not to come again, mass consumption society will appear.

Yes, we live an era of compulsory education in this age group is their own.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月17日 (木)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」③

 えっと、前回は5~60年代の日本の産業でしたか。

 すごい回り道しているようですが、実は一番近道の話しです。

 60年代は日本でも日米安全保障条約を巡って、学生運動が過激化して行きます。大学はクリエイティブクラスに入ります。この時期の大学生は、本気で日本を変えられると信じて運動をしていました。警察は運動を鎮圧する絶対数が足りない為、いまでいう暴力団、右翼、テキヤと結託。数を揃えて行きます。国会に組長が出るという今考えると、とんでもない事が起こっていました。

 関係ない話しになりそうなので話題をかえます。

 60年代は日本の前衛芸術は元気です!九州も九州派が生まれています。

 6~70年代はゼロ次元、ハイレッドセンターなど、最近再評価、検証が行われている重要な前衛が湧きおこりました。

 64年は東京オリンピック、70年は大阪万博。

 そういう華やかな一面、産業界は工業地帯への人口の過度な集中を分散させる為、「太平洋ベルト地帯構想」が60年に発されます。

 工業地帯がいよいよ地方へやってくる、日本各地へ経済の再分配が行われ始めます。高速道路を全国へ網羅し始め、流通も急速に早くなります。

 高度経済成長の真っ只中へ突入です。

Er, last time I was in Japan's industrial ages 5-60.

It seems that the detour amazing, the best shortcut is actually talking about.

1960s over the US-Japan Security Treaty in Japan, the student movement will continue to radicalization. University will enter the creative class. I was a university student movement believe that during this period, and can change the Japanese in earnest. Because the absolute number is not enough police to crush the movement, collusion gangsters now say, the right wing, and racketeer. We will align the number. Considering now that boss comes out to the National Assembly, it was unexpected has happened.

You change the subject because the story is not going to be a relationship.

1960s Japanese avant-garde art is alive and well! Faction has been born in Kyushu, Kyushu.

Ages 6-70 is important avant-garde zero-dimensional, such as high red center, recently re-evaluation, validation has been carried out has occurred aside.

1964 Tokyo Olympics, 1970 World Expo in Osaka.

Such a gorgeous face, the industry is to disperse the excessive concentration of population to the industrial area, "Pacific Ocean belt initiative" will be emitted in 60 years.

Finally comes to the local industrial zone, redistribution of the economy will begin to take place all over Japan. To the whole country began to cover highway, faster distribution rapidly.

Is to rush in the midst of rapid economic growth.

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月16日 (水)

熊本ローカルアーティストが考える「創造都市」②。

 先日に引き続いて書いて行きます。

 熊本のアーティストも、知っとくと無駄ではないかもという事を。

 都市論は、経済の発展の歴史とは切り離せません。なので、ちょっと自分なりに整理します。

 戦後1950年代。国策で四大工業地帯として、臨海に大規模な工場を立てます。資源、燃料がなかった時代です。鉄板なら板状でどんどん海から工場へ持ち込みました。他にも一次加工品を輸入して、臨海工場で製品に加工して輸出するという、資源のない国の知恵を絞った合理化で、臨海工業地帯が勃興します。

 輸入した原料を、海に立つ工場で加工すれば、二次的な輸送費もかかりません。製品化すればそのまま船で輸出できます。島国である特徴を生かし切っています。

 その工業地帯に人が集中し、都市圏が形成され始め、局所に集中しすぎる弊害もあらわれ始めます。

 世界のアートの潮流はどうだったかというと、20年代にはすでにデュシャンの「泉」からの影響でダダイズムが起こっていますね。アートの概念を根底から覆したこの作品以降、今の現代アートに至る潮流が生まれました。

 で50年代と言えば、ポロックのアクションペインティングから、ポップアートへと移行していく期間。まさに大量生産消費社会へと進んで行く社会と同じ(やや早い)歩調で世界のアートシーンは動いて行きます。ヨーロッパからアメリカにアートの主戦場が移って行きます。

 日本では50年代「具体美術協会」「読売アンデパンダン展」など、この後来るポップアート前夜の、ネオダダという混沌とした各種の活動が盛んになります(正確には具体も読売アンパンもネオダダとは自称していませんが)。自分では「反芸術」と言った方がしっくりきます。

 今眺めると、50~60年代の日本のアーティスト達は、急速な都市化と工業化で置き去りにされようとしていた日本の土俗的な何かと身体性を回復、とまではいかなくてもアンチテーゼとして表現しようとしていたように見えます。作品うんぬんよりも、肉体を使ったパフォーマンス要素が大きい活動が多いからです。

 アーティストは社会化しない、時代の深層を時として表現します。この時期、ほんの数年の内に試された表現行為は今のアートシーンにも色濃く反映しています。

 高度成長へ向かう日本。

 次回は60~70年代。

 サリュ

 We will subsequently wrote the other day.

Kumamoto is also an artist, and that might not be in vain to know.

City theory, and history of economic development can not be detached. So, in my own way to organize a little.

1950s after the war. As the four major industrial area in the national policy, and made a large-scale factory in Linhai. Era did not resources, and fuel. Rapidly brought to the factory from the sea in the form of plates if the iron plate. Targeted at streamlining imports processed goods following wisdom one other, that export processed products plant in Linhai, countries in which you do not have resources, coastal industrial zone will rise.

If the processing plant stand into the sea, the raw material was imported, and it took less than a secondary transport costs. Can be exported by ship as if commercialized. The island nation is taking advantage off.

People to focus on its industrial zone, urban areas began to be formed, and also start to appear too focused on local evils.

The trend of art in the world and say how it was, in the 1920s it has happened under the influence of Dadaism from the "fountain" of Duchamp already. This work was later overturned the concept of art from the ground up, leading to the contemporary art trend now was born.

Speaking of the 1950s is a period, from action painting of Pollock, continue to transition to Pop Art. Art scene in the world is going to move (somewhat early) at the same pace with society go on mass production and consumption to society exactly. The main battlefield of art will continue to move to America from Europe.

In Japan, a variety of chaotic activity, such as "the Yomiuri Independent Exhibition" Association "concrete art" age 50, on the eve of Pop Art comes after this, that Neodada will be popular. The better coming nicely, "said anti-art" in their own.

When you look now, the artists of Japan in the 1950s to 60, up to, and recovery is trying to express as an antithesis, if not the physicality something an folk of Japan was about to be left behind in industrialization and rapid urbanization seems to have been with.

Sometimes the artist to represent not socialization, the depth of the times. Expression act at this time, was tested within a few years has also strongly reflected in the art scene today.

Japan towards high growth.

The next of the 60's and 70's.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月15日 (火)

熊本ローカルのアーティストが自分なりに考える「創造都市」①。

 熊本市が政令都市になりました。

 様々な目標が掲げられる中のひとつに、「創造都市」としての熊本の姿があります。

 横浜、金沢、名古屋、浜松などが先駆的に取り組んでいます。

 横浜などは、アーティストに対する支援が厚くなっていたり、端から見ていても、単純にいいな~位の感想しか持っていませんでした。

 しかし今回、熊本市の事業「チャレンジ協働事業」のタイトルが、創造都市を考えるという事でNPOアートスイッチとして企画書を提出するにあたり、一回真剣に考えとく必要があるなと思いまして自分なりに研究致しました。すでに企画書は提出しております。

 で、熊本ローカルな自分以外のアーティストも、このブログ読めばザックリ分かるよという簡単なレベルで書いておきたいと思います。

 ※素人&アーティスト目線ですので、文部科学省及び経済産業省関係者の方、産業、知的クラスター事業の関係者様方、その他の産学官イノベーション関連の皆さま、細かい間違いはあるかと思いますが、御笑覧頂ければ幸いです。

 いきなり「創造都市」の話しをしても、多分中途半端になりますので、日本の戦後の産業スキームの移り変わりとそれに若干日本のアートシーンがどうだったか(これも細かくは覚えていませんが…)を交えながら、書いて行きます。

 先ず、産業の変遷で言えば、最初に言いますが1998年で大きく国の方向性が変ります。

 中央→地方自治体です。

 これは大きいです。この年から、日本において「創造都市」論が生まれる素地が出来上がったのではないでしょうか。

 戦後高度経済成長時の国の産業政策をザッと見ると、現在に至る道筋が分かります。

 では次回。

 サリュ

Kumamoto city is now a Cabinet Order.

To one of the various goals can be raised, there is a figure of Kumamoto as a "creative city".

Yokohama, Kanazawa, Nagoya, and Hamamatsu has committed to playing a pioneering role in.

Yokohama, etc., or has become thicker support for artists, even if viewed from the end, did not only have a simple impression of Place ~ I hope.

Will own I was wondering do you need Upon submitting a proposal as NPO art switch by this time, the title of "industry  cooperation challenge" business in Kumamoto, that think the creative city, you seriously considered once but We have to study. The proposal has been filed already.

I think is also a local artist other than yourself, Kumamoto, and I want to write in a simple level that I know roughly if you read this blog.

※ I think so, but eye and amateur artists, who officials Ministry of Economy, Trade and Industry and the Ministry of Education, who like their industrial relations, of intellectual cluster projects, related to our industry, academia and government innovation, and other small mistake and there, It would be greatly appreciated if it could Shoran us.

Even the talk of the "creative city" suddenly, it will be halfway maybe, little by little, but do not remember (This is also how they were the Japanese art scene slightly and its change of the scheme of industrial Japan's postwar ... while exchanging a), we will write.

First, speaking in the transition of the industry, the direction of the country varies greatly with the year 1998, but says for the first time.

→ is a local government center.

This is big. From this year, what is foundation that was not finished theory "creative city" is born in Japan.

A glance at the industrial policy of the country at the time of high economic growth after World War II, you can see the path to the present.

The next time.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

熊本「城下町アート企画」(仮)の説明&交流会にお越し頂きました皆さま、貴重なご意見ありがとうございました!

 5月11日に行いました、「城下町アート企画」(仮)の説明&交流会にお越し下さいました皆さま、誠にありがとうございました!!

 2時間予定の説明会のうち、1時間を皆さまのご意見をお聞きする時間とさせていただきました。

 実に様々なご意見をいただき、誠にありがとうございました。

 イベントの企画説明としては、何とも脇が甘いと自覚しております。

 普通、イベント企画会社等が企画する場合は、もっと細部まで詰めて実施するでしょう。

 何故そうしなかったかと言えば、アートイベントだからです。

 興味を持って頂いた皆さまに、同じ目線で考えて頂きたかったからです。この企画はすでに、企画説明&交流会からスタートを切っています。コミュニケーションしながら当日まで展開するというプロセスを、公開しながら行います。

 直線的な発想で、「これやりますから、お願いします」ではありません。

 もっとゆるい繋がりの中で、様々な意見を持ち寄って楽しいアートイベントができればいいなと考えております。

 次は、実際にイベント実施予定の場所を回りながら、企画について考えるという交流会を開きたいと思っております。詳しい期日が決まりましたら、ご紹介致します。

 サリュ

Was conducted on May 11, "Art castle town planning" Please come to our exchange meeting and was described in (tentative), Thank you very much! !

Description of the meeting scheduled for two hours, I was allowed the time to hear the opinions of everybody one time.

We indeed a variety of opinions, Thank you very much.

As the description of the event planning, we are aware of and indescribably sweet side.

Normally, if such an event planning company to plan will be carried out more detail packed up.

If anything why did not do so, because it is an art event.

To everyone who is interested, we thought I wanted in the same eye. This project has already started off from AC & Description planning meeting. Done with the public, a process that until the day of deployment while communication.

"Because you do this, please", ideas are not linear.

We believe in and I hope more loose connection, if you can have fun art event Mochiyo~tsu various opinions.

Next, we want to open the exchange meetings around the location of the planned events while actually going to think about planning. When you decide which detailed the date, we will introduce.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月11日 (金)

いよいよ本日!熊本市現代美術館、会議室18:00~。熊本「城下町アート企画」(仮)の企画説明会&意見交流会です!

 当日になりました。

 熊本「城下町アート企画」(仮)企画説明&意見交流会です。

 場所は熊本市現代美術館、会議室です。

 時間は18:00~20:00の予定です。

 予約は不要です。参加費はありません。

 企画を説明させていただいた後、意見の交流会を開きます!むしろそっちの方がメインです。

 城下町の歴史と文化を、アートという角度からイベントとして表現するとどういう形が楽しいのか、皆さまの貴重なご意見を是非お聞かせ下さい!

 それでは会場でお待ちしております。

 サリュ

Now on the day.

"Art castle town planning" and opinion exchange meeting description is planning Kumamoto (tentative).

Location Kumamoto City Museum of Contemporary Art, is a conference room.

Time is scheduled from 18:00 to 20:00.

Reservations are required. There is no entry fee.

After you let me explain the plan, and then open the meeting exchanges of opinion! Rather is the main way over there.

What fun is what form, please Let us know your opinion of our valuable and expressed as events from the angle of art, the history and culture of the castle!

We look forward to there!.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 9日 (水)

熊本「城下町アート企画(仮)」説明会&意見交流会in熊本市現代美術館、会議室。11日の18:00~、今日は企画③のご紹介!

 企画③の提案は、河上彦斎(かわかみげんさい)捕り物劇です。

 こういう人物です。

 白川県肥後国飽田郡熊本新馬借町生まれ。
 

 幕末の尊王攘夷派武士。幕末四代人斬りのうちの一人。
 

 思想家・佐久間象山を白昼堂々斬り伏せる。維新後、明治四年に斬首。
 

 攘夷思想を持つ彦斎が開国を推し進める新政府に従わなかったための斬首ともみられる。
 

 裁判では「新政府の方針に従い共に働いてはくれないか」と何度も説得されるが、尊攘を夢見て共闘してきた仲間たちのことを思うと志を曲げられないと、断固拒否した。

 文久3年、30歳の時、熊本藩親兵選抜で宮部鼎蔵らと同格の幹部に推される。一般的に「人斬り彦斎」
などと呼ばれているが、彦斎が斬った人物で確実なのは佐久間象山だけで、後はいつ誰を何人斬ったのかは明確に伝わっていない。
 

 容姿は、身の丈5尺前後(150cmほど)と小柄で色白であった為、一見女性の様であったという。
 

 剣は我流で、片手抜刀の達人(片膝が地面に着くほど低い姿勢からの逆袈裟斬り)であったと伝えられている。
 

 伯耆流居合を修行したという説もあるが、その根拠となっているのは、当時、熊本藩で最も盛んだった居合が伯耆流だったという事と、所作こそ異なれど伯耆流には逆袈裟斬りの業が多い点が、その理由として挙げられている。
 

 八月十八日の政変後、長州へ移り、三条実美の警護を務める。その後、元治元年6月の池田屋騒動で新選組に討たれた宮部鼎蔵の仇を討つべく再び京へ向かう。元治元年7月11日、公武合体派で開国論者の重鎮、佐久間象山を斬る。
 

 この象山暗殺以降、彦斎は人斬りを行なっていない。
 

 第二次長州征伐の時、長州軍に参戦、勝利をあげる。慶応3年に帰藩するが、熊本藩は佐幕派が実権を握っていた為投獄される。このため、大政奉還、王政復古、鳥羽伏見の戦いの時期は獄舎で過ごす。慶応4年2月出獄。
 

 佐幕派であった熊本藩は、彦斎を利用して維新の波にうまく乗ろうとするが彦斎は協力を断る。
 

 維新後、開国政策へと走る新政府は、あくまでも攘夷を掲げる彦斎を恐れた。
二卿事件への関与の疑いをかけられ、続いて参議広沢真臣暗殺の疑いをかけられ明治4年12月斬首。しかし、この暗殺事件に彦斎は無関係といわれており、新政府の方針に従わなかった為の斬首とみられる。

辞世の歌は、

君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん
君を思い君の御法に死ぬる身を ゆめ見こりなそつくせ世の人
かねてよりなき身と知れど君が世を 思う心ぞ世に残りける

 戒名を『應観法性居士』 墓は池上本門寺[1]。また、京都の妙法院と熊本の桜山神社に仮墓が一つずつある。

 志を貫いて、最後は斬首される、本物の幕末の志士です。漫画新連載が始まった、るろうに剣心のモデルとしても有名ですね。

 その彦斎の捕り物劇を城下町で演じようという試みです!追われるのは彦斎です。脱藩浪士です。実際に熊本に帰ってきた時は八代から上陸してのち、捕えられています。

 脱藩浪士の日常を現代に蘇らせる企画です。命のやり取りをしながら、志を遂げる緊張感が少しでも出ればいいなと考えています。

 いよいよ明後日が説明会です。

 皆さまのお越しをお待ちしております。

 サリュ

③ planning proposals, (Gensai Kawakami) is nabbing drama Gensai Kawakami.

Is a kind person.

The new town was born in Kumamoto Bashaku county Higo Akita Prefecture Shirakawa country.


The end of the Edo Period samurai faction antiforeigner reverence for the emperor. One of the end of the Edo people alone for four generations.


Sword lay in broad daylight the Xiangshan Sakuma thinker. After the Meiji Restoration, Meiji beheaded four years.


Also found beheaded and for failure to comply with new government will promote the expulsion of the foreigners Gensai have thought the opening of the country.


But be persuaded many times as "Why do not are working together in accordance with policies of the new government" in court, and not to bend any of the ambition and I think that colleagues have been united front dreamed Sonjo, refused adamantly.

Bunkyu three years, at the age of 30, is pressed into apposition and executives from the built-in selection Miyabe Ding Han soldiers Kumamoto parent. "In general Gensai murder"
Have been referred to as such, it is fully secure in person only Gensai Xiangshan Sakuma, exhausted after what many people who are not always transmitted clearly.


Appearance is, because it was a fair complexion is a petite 5 feet tall and around (about 150cm), that was like the woman at first glance.


Ken is a self-taught, was said to have been (as low as Kesagiri reverse from the posture one knee the way down to the ground) master of the sword with one hand.


But also a theory that was training the Iai flow broom, it has become its basis, and that was the flow broom Iaido at the time, was most active in the clan Kumamoto, flow Hoki is Kesagiri reverse etc. Different what conduct point is the work of many, has been cited as the reason.


After the coup of August the 18th, moved to Cheung Chau, serve as the bodyguard of Sanetomi Sanjo. Then, again heading to Kyoto in order to avenge the elephant song Ding Miyabe was in turmoil in Shinsengumi Ikedaya Motoharu first year in June. 11 July 1989 Motoharu, kill stalwart advocate the opening of the country, the Xiangshan Sakuma imperial court in the union faction.


Xiangshan later this assassination, Gensai is not doing murder.


Increase at the time of the conquest of the Second Choshu, Choshu troops fought, the victory. Although attributed to three years Keio clan, the clan will be imprisoned for Kumamoto desert faction was at the helm. For this reason, Taiseihokan, Restoration, when the Battle of Toba Fushimi spend in prison. Keio 4 release from jail in February.


Gensai refuse to cooperate Kumamoto clan faction was desert, in an effort to ride the wave of restoration work using the Gensai.


After the Meiji Restoration, the new government to run and opening of the country policy, set forth the expulsion of the foreigners were afraid Gensai only.
Suspected of involvement in two incidents Lord, beheaded December 1871 was suspected of the assassination of Minister subsequently councilor Hirosawa true. However, it is said Gensai is irrelevant to this assassination, and found beheaded for failure to comply with new government policy.

Death song, the

Crimson flowers and blooming orchid mind that if you pass away corpses Moussa grass for first
Stiffness of the world people look Tsukuse eponymous dream only of you pass away to Minori you think the
Remain in the world kicking and body may each heart without you etc. I think the world is prearranged more


"Grave Koji  legality," the posthumous name [1] Ikegamihonmonji. In addition, the formal one by one to the shrine is the tomb of the Kumamoto Institute and Sakurayama Myoho in Kyoto.

Through the ambition, the end will be beheaded, the end of the Edo Period is a real patriot. New cartoon series began, she is famous as a model of Rurouni Kenshin.

Enjiyo is an attempt to play in the castle town of the things that 彦斎 birds! Being chased is Gensai. Roshi is Dappan. When I actually came back to Kumamoto after, have been caught and landed from Yatsushiro.

Is planning to revive in the modern world of everyday Dappan Roshi. I hope and I think If you find even a little sense of tension, while the interaction of life, achieve an objective.

Day after tomorrow is finally briefing.

We look forward to your visit.

Saryu

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月 8日 (火)

5月11日(金)18:00~熊本市現代美術館にて「城下町アート企画(仮)」説明会&交流会開催。本日は企画②をご紹介致します。

 いよいよ今週に迫って来ました!「城下町アート企画(仮)」説明会!

 場所は熊本市現代美術館会議室です。18:00~予約不要、参加費はありません。

 お気軽にご参加下さい!

 本日は企画②のご紹介を致します。

2012_3

 昨日もリサーチしてきたのですが、城下町の町屋の、マンションへの建て替わり事情は真剣にヤバイです。入居者が見込めないゴーストマンションすら現れ始めているにも関わらず、新しいマンションの建設計画が目白押しです。

 人があまりいないマンションは、それ自体が治安の悪化を招きます。

 文化と歴史どころの問題ではなく、現在の生活が不安におびやかされ始めているそうです。

 企画②は、そんな町屋をクローズアップしたイベントになります。

 町屋をアーティストが演劇舞台として演出致します。もちろんアーティストは、その町屋で演者の一部として演劇に参加します。作品(舞台)説明をアーティストから直接聞く事ができます。

 様々な町屋で、演劇空間が現れます。時代も様々、町屋の職種も様々です。

 町という空間を、歴史と演劇とアートで、新しい魅力的な空間として楽しんで頂きます。

 「熊本には熊本の、町屋の姿があるはず」

 昨日頂いた、現役町屋で商売をされている方の、お言葉のひとつ。

 まさにその通りで、今生きている町屋の姿を、楽しく見て頂く事こそが必要です。

 熊本城下町の町屋は、築130年が最も古いものです。それは町屋で商売をされている方々は良くご存じです。

 歴史的建造物という訳でもありません。しかし、職住一体型の家というスタイルは、町屋毎に個性があり本当に魅力的です。商売柄と、住んでいる人の個性が直接響き合って他にはない空間があります。

 町屋に住んで、商売をしていますから、自信をもってそう断言できます。これは後世に残さないと、いけないと思います。

 その為には、町屋に注目を集めなくてはいけません。

 今回の企画はその為の企画と言えます。

 サリュ

Closing in on finally came this week! "Art castle town planning (tentative)" briefing!

The location is the conference room Kumamoto City Museum of Contemporary Art. 18:00 - reservationless, there is no entry fee.

Please feel free to join us!

Today will be the introduction of planning ②.
I have been also research yesterday, of Machiya of castle town, the situation instead of to the apartment building is seriously dangerous. Despite the fact that even the ghost started to appear apartment tenants can not be expected, is packed with new apartment construction plan.

People do not have much Mansion itself, it will lead to deteriorating security.

Not a question of culture and history far from the present life is threatened so are beginning to anxiety.

② planning will be the event that such close-up of the town shop.

Theater as a stage artist will produce a Machiya. Artists will participate in theater as part of the performers in ya town its course. You can hear directly from the artist a description (stage) work.

Machiya in a variety of theater space will appear. Various occupations is also various, and also Machiya era.

In theater and art history and, as you will enjoy new and exciting space, the space of the town.

"Should be in Kumamoto in Kumamoto, the figure of Machiya"

Who yesterday, of persons who are in the business Machiya active duty, one of your words.

Right on the money, what is required that you read fun, the appearance of Machiya alive now.

Machiya of Kumamoto castle, built 130 years is the oldest. It has been the business people in Machiya is familiar.

Nor is it historic buildings. However, the style of the house of an integrated workplaces is really fascinating personality there is every Machiya. And nature of business, there is a space like no other sound directly match the individuality of human lives.

Machiya live in, since we are a business, so you can assert with confidence. I think this is not left to posterity, and not go.

To do so, rather than draw attention to the Machiya should not be.

You say this plan is planning for it.

Saryu

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 3日 (木)

5月11日(金)熊本市現代美術館、会議室にて「城下町アート企画(仮)」の説明&交流会開催。本日は企画①の説明です。

 5月11日(金)熊本市現代美術館、会議室にて「城下町アート企画(仮)」の説明会&意見交流会を開催致します。

 時間は18:00~20:00です。

 どなたでもお気軽にご参加下さい。事前予約不要、参加費無料です。

 本日は企画①の解説をしていきたいと思います。

2012_2

 今回のアートイベントは3種類の異なった演劇が、同時進行するという特殊な仕組みになっております。

 その1種類目が企画①の、お客様に参加して頂く演劇になります。

 この演劇は、練習を必要とするものではありません。城下町のどこかで、お客様が台本に従った行動をして頂ければ、それで城下町演劇空間が完成します。

 舞台は城下町全域です。

 台本は事前に数種類をご用意致します。

 その台本お内容は、城下町で活動する方々や地域住人に制作して頂きます。町の魅力を知り尽くしているからこそできる台本があると思います。

 普段見慣れた城下町エリアが、演劇空間として立ちあがってくる瞬間を提案致します。

 この企画はパフォーミングアーツというよりは、城下町で行う大きなインスタレーションに近い感覚で構築致しました。

 演劇実演中に全体像を把握できないというのが、今回の3つの演劇企画の特徴になります。町で起こる全ての事を、実際に人は把握せずに日常を生きています。その状態を架空に構築して時代考証やアートの作品を展開する事で、非日常の日常をその時間だけ皆さまと共有する企画です。

 自分が演劇の一部になり、作品の一部になると思えば、ワークショップにも近いかも知れませんね。

 数時間の楽しい非日常を味わってもらいたく、提案させて頂いております。

 サリュ

Will be held opinion exchange meetings and briefings of Kumamoto City Museum of Contemporary Art (Friday), "(tentative title) Art castle town planning" at the conference room on May 11.

The time is 18:00 to 20:00.

Please join us feel free to anyone. Reservation is not needed, entry fee is free.

Today, I want to go to the description of the planning ①.

Art events of this time, we are able to play a special three different, simultaneous to progress.

Theater will get to participate in planning ① eyes a kind that, to our customers.

This theater is not what you need to practice. If it is possible to act according to your script, somewhere in the castle town, so you will have built a castle town theater space.

The entire stage is a castle town.

Script will be available in several in advance.

Content that your script, you will then work to residents and local people working in the castle town. I think there is a script that can be precisely because it knows the charm of the town.

We propose the moment is usually familiar castle town area, come stand up as a theater space.

Rather than planning for the Performing Arts, and this was close to the installation will be constructed in a large sense to do in the castle town.

That it can not grasp the whole picture in the demonstration theater will be the feature of this plan three theater. People are living without knowing the actual daily life, everything that happens in town. By deploying a work of art historical research and time to build to a fictitious state, is planning to share that time with our only daily non-daily.

I do not know if you think yourself become part of the theater, and become part of the work, be close to the workshop.

Want to get a taste of the extraordinary fun of a few hours, we have been proposed.

Saryu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 2日 (水)

5月11日(金)熊本「城下町アート企画(仮)」説明会in熊本市現代美術館。今日は企画の主旨説明です。今日から説明会当日までは、企画の説明をして行きます。

 5月11日(金)18:00~20:00

 熊本市現代美術館、会議室にて熊本「城下町アート企画(仮)」の企画説明&意見交流会を開催致します。

 今日のブログでは、今回の企画主旨を説明したいと思います。

 本日から企画説明会当日までは、熊本「城下町アート企画(仮)」の説明を行っていく予定ですので、興味がある方は御笑覧下さい。

 それでは、企画書の最初のページをアップ致します。

20121

 1~7までの各種企画詳細は今後、詳しく説明していきます。

 先ずは、何故今熊本城下町でアートイベントの企画を開催するのでしょうか?という所から始めたいと思います。

 熊本市は政令指定都市になりました。

 たくさんの、熊本市が目指す方向性がある中のひとつに「新町、古町の活性化」があります。政策として町屋の外観規定や、改築に対する助成金も予算に組み込まれ、建物に対する保護等を基礎にして活性化の第一歩が動き始めました。

 人の活性化はどうかと見渡した時に、新町、古町の各地区ブロック単位ではとても軽快に様々な活動がおこなわれています。

 当NPOはアートを主に扱う組織ですので、アートや文化活動に着眼します。

 城下町のアート活動として目覚ましいのは河原町があります。その他にも夏の城華まつりは着物を主題にしたおまつりですし、閻魔様の生き人形の御開帳も、歴史と文化を伝える催しです。新町では嗚呼斗芝居と銘打ち、熊本の劇団有志と地域住人による演劇活動が始まりました。

 秋には城下町の各地区でお月見会があり、五節句の会では日本の節句という季節の節目を伝える活動があります。

 このように、他にも園遊会や地蔵祭り等、実に様々な動きがあります。

 長年たくさんの地域活性化活動で育まれた、文化の土壌がすでにある中、次に何をすればいいのかの一つの道筋が今回のアートイベントになります。

 アートスイッチが標榜する「熊本発、世界へ」を実現しようとする時、城下町の活動の様々を知りながらも全体を横断するムーブメントがどうしても必要になります。

 その時に一番重要なのは、各種活動組織が大枠で何を対外的にアピールしたいのかという事です。

 明らかです。

 「歴史と文化、そして現在の町」です。

 多様多層な魅力を持つ城下町の魅力を、アートという手段で新しい価値として創造すること。

 人の力で新しい城下町の価値を生み出すことが、今本当に熊本市にとって必要な事です。

 7つのそれぞれの企画は、その「新しい価値」を形にしたものです。

 まだ未確定な要素も多いですが、少なくとも今、アートスイッチが考えうる限りの企画です。

 明日以降は、各種企画の詳細について触れて行きます。

 サリュ

 【補足】

 熊本市の城下町は、西南戦争で古い町は燃えてしまいました。今立ち並ぶ町屋は明治以降の建造物で、古くても築130年ほどです。戦火に燃えなかった日本各地の、歴史的建造物程には歴史的価値は今のところ見出されていません。

 現在では毎年無くなっていき、駐車場やマンションに建て替わっています。

 歴史的建造物というハードで人を誘致できない中、熊本城下町を魅力的にしていくのは人の力でしか成し得ません。

 (Fri.) 18:00 ~ 20:00 on November 5

Opinion exchange meetings will be held & description of planning "(tentative title) Art castle town planning" Kumamoto Kumamoto City Museum of Contemporary Art, at the conference room.

I think in today's blog, and want to explain the gist of this plan.

Planning until the day of briefings from today, so we plan to discuss the (tentative) "Art castle town planning" Kumamoto, If you are interested, please Shoran us.

So, we will up the first page of the proposal.
Various planning details of from 1 to 7 in the future, we will explain in detail.

First of all, what planning to hold events in the castle town of Kumamoto art now? I would like to start from a place called.

Kumamoto City is now ordinance-designated cities.

One of the while there are a lot of direction, Kumamoto city aim is the "activation Shinmachi, of Furumachi". Built into the budget provisions and the appearance of the Machiya, also subsidies for renovation as a policy, the first step of activation began to move on the basis of such protection for buildings.

When I looked, and whether activation of the human, in units of blocks each district Shinmachi, of Furumachi are various activities have been made very lightly.

Our NPO is an organization dealing mainly because the art, Focusing on the art and cultural activities.

Remarkable as it has a castle town art activities of Kawaramachi. Hana Castle Festival is a festival of the summer I was on the theme of the kimono, also your exposition of the Yama living doll, is the history and culture events also convey other. The play was conceived in Shinmachi Doo ah, theatrical activities by volunteers and local residents began troupe of Kumamoto.

In autumn, there is a meeting in each district of the castle moon viewing, in the meeting of the five festivals There are activities that convey the turning point of the festival season in Japan.

In this way, and so forth Jizo festival and garden party, and indeed also other various movements.

One that is already in the path of activity that was nurtured in a lot of local revitalization for many years, the soil of culture, of what to do next will be the art of this event.

When the switch is trying to achieve art, which advocates "from Kumamoto, to the world", will be absolutely necessary to traverse the entire movement is also a variety of activities while knowing of a castle town.

The most important thing at that time, is that what you want to appeal to foreign organizations doing various activities in the overall framework.

Is obvious.

Is "the current town, and the history and culture."

Can be created as a new value by means of art, the charm of the castle town with a diverse multi-layered appeal.

That produce the value of the new castle town in the power of the people, is that really necessary now for Kumamoto.

Each of the seven planning is a form that the "new value".

Many elements is still undetermined, now, there is a plan to switch at least as long as they can the art of thinking.

After tomorrow, we will touch on various details of the plan.

Saryu

[Supplement]

Castle town of Kumamoto city, old town was burning away in the Satsuma Rebellion. Machiya now is lined with buildings since the Meiji era, is also built about 130 years old. Fires burning throughout Japan was not, as the historical buildings in the historical value is not found so far.

Today we lost every year, has changed and apartments built in the parking lot.

Can not attract people in a historic building in the hard, going to have an attractive Kumamoto castle town does not get without the power of the people only.

 

 

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 1日 (火)

5月11日(金)熊本市現代美術館、会議室にて「城下町アート企画(仮)」の企画説明会を致します!! 企画内容を初公開しました!!

 ゴールデンウイーク明けの5月11日(金)熊本市現代美術館、会議室におきまして、今年の秋に開催予定の「城下町アート企画(仮)」の企画説明&意見交流会を、18:00~20:00にて行います。

1

 事前予約等、いりませんので興味があられる方は是非お越し下さい。皆さまと一緒につくりあげるアートイベントです。自分達で熊本城下町を県内外にアピールするアイデアを、常に求めております。

 城下町をどうアートで表現するのか、以下企画をアップ致します。御笑覧下さい。

20121 2012_2 2012_3 2012_4 20125 2012_6 文字だらけで、大変読み辛いとは思いますが、企画の第一段階としての企画書です。

 この「城下町アート企画(仮)」は、三井住友信託銀行の公益信託 くまもと21ファンドの助成が確定しております。

 この企画のご賛同頂く皆さまの力を結集して、熊本城下町の歴史と文化とアートで新しい価値を生み出していくアートムーヴメントです。

 5月11日(金)熊本市現代美術館、会議室18:00~20:00です。

 お気軽に、お越し下さい。

 サリュ

Kumamoto City Museum of Contemporary Art (Friday),  conference room, 18:00 to 20:00 and opinion exchange meetings to be held in the planning description "(tentative title) Art castle town planning" in the fall of this year's New Year Golden Week May 11 will be made in.

  Those who are interested in roughness, etc. Please come reservation, so you do not need. Build together with our event is an art. We always looking for ideas, appeal to the castle town of Kumamoto prefecture outside themselves.

What if the castle represented in art, we will following up the plan. Please us.

  Full of character, and the hope that it will be very difficult to read, as is the proposal of the first stage of planning.

"Art castle town planning (tentative)" This grant of 21 charitable trust fund of Sumitomo Trust & Banking Co., Ltd. Kumamoto Mitsui has been finalized.

Is an art movement to mobilize the power of our get your approval of this project, we create new value in the art, culture and history of the castle town of Kumamoto.

Kumamoto City Museum of Contemporary Art is 6:00 p.m. to 8:00 p.m. (Fri), meeting room, May 11.

Feel free to please come.

Saryu

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »