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2013年1月

2013年1月31日 (木)

使われなかった帰りの切符。

 熊本電鉄、通称きくち電車「きく電」と今でも呼ばれて地元民の普段の足として、運行しています。
 その昔、きく電始発駅の藤崎宮前駅に、女の子が往復切符を持って立っていました。
 何かの病気の診察の為に、病院に行くのだと聞きました。
 すぐに帰って来れるからねと。
 彼女は診察を受けた後、「家族に迷惑をかけるから、しばらくここにいた方がいい」と言われて留まりました。
 一生。
 使われることがなかった片道切符。
 それが「らい予防法」
 ハンセン病隔離政策。
 きく電の1車両を貸しきって、このレクチャーはスタートしました。
 菊池恵楓園へのハンセン病患者隔離は、すでにこの藤崎宮駅前から始まっています。
 帰り道がないきく電乗車の気持ちを少しでも感じて欲しいという、かなりの意気込みのレクチャーでした。冒頭のエピソードを聞いた時、初めて乗ったきく電という事も相まって、何とも言いがたい感情が湧きます。
 菊池恵楓園に着きます。
 無らい県運動。
 全国の都道府県のらい病患者を、官民一体で摘発…「摘発」…療養所へ送り込む運動です。
 明治大正から昭和初期にかけて、謎の病気だったらい病患者を隔離療養するという考え方は、理解できます。
 昭和22年にはプロミンという特効薬が日本にも入ってきて、ほとんど感染力もない事も分かってきます。
 菌は完全に治癒しても、体に後遺症が残ってしまう場合があります。
 驚くべき事にこの隔離政策が完全に廃止されるのは、小泉政権の時、平成に入ってからでした。
 60年以上隔離政策を続けた日本という国。
 どんな国にも過ちはあります。
 本当の過ちは、その過去を記憶の彼方へ葬り去ってしまうことです。
 恵楓園入所者の平均年齢は81歳。
 隔離政策の記憶は風化の一途をたどっています。
 色々読んで、記録では知っていましたが、実際に触れると実感が違います。
 この遺産をどう残し、後世に伝えていくことが出来るでしょうか。簡単には伝えきれない事です。
 時間もあまりないでしょう。
 真剣に考えなければいけませんが、熊本でこのようなことが行われていた事が、あまりにも知られていない事に愕然とします、自分を含めて。
 熊本市現代美術館ではずいぶん前から「ひかりの絵画展」として、恵楓園の絵画クラブの活動をフォローされています。
 文化事業と連携して企画して波及していくのが、理想的だと思います。
 菊池恵楓園には、歴史資料室が新しく設営されました。是非一度行かれてみて下さい。
 サリュ
 Usually the locals as legs, I have now run also called Kumamoto Electric Railway, "and hear electric train" aka Kikuchi.
Once upon a time, the starting station to station Hijisakigumae electric heard, the girl was standing with a round-trip ticket.
I asked for some kind of examination of the disease, and would go to the hospital.
Because I come back soon.
It is said that she was only after receiving a consultation, "because a nuisance to the family, who was here for a while is good".
Life.
One-way ticket was never used.
"Leprosy Prevention Law," it is
Leprosy isolation policy.
To cut one of the electric vehicle lend heard, this lecture was started.
Isolated leper to the Garden Maple Megumi Kikuchi, Fujisaki this temple from the front of the station has begun already.
Was the lecture of enthusiasm that I want you to feel even a little feeling of riding electric heard there is no way back, considerable. When I heard the beginning of the episode, coupled with the fact that for the first time I rode electric heard, feelings hard to say anything is springing.
I arrived at the park maple Megumi Kikuchi.
Free movement らい province.
Is fed to the sanatorium movement ... "caught" ... caught in public and private sectors together, the leprosy patients of the prefecture of the country.
Concept from the Meiji and Taisho and early Showa, that medical quarantine leprosy patients was sick of the mystery can be understood.
Has also been found that the silver bullet that promine The 1947 also comes in Japan, almost no infectivity.
bacteria might be completely healed, leaving the body sequelae.
This isolation policy is being abolished altogether surprisingly, when the Koizumi administration, I have since the beginning of 2010.
Japan as a country was continued isolation policy for more than 60 years.
Mistake is also in any country.
The real mistake is that they bury the memory of its past to the other side.
The average age of residents is 81 years old Megumi maple garden.
Storage isolation policy has steadily weathering.
Various different feeling reading recording, but you know, and actually touch.
Do you will be able to leave a legacy if this will convey to posterity. It is easy to tell that can not.
Probably not much time.
You must seriously think, be appalled to be that such a thing has been done in Kumamoto is not known too, I include myself.
As "painting exhibition of light" from a long time ago, in the Contemporary Art Museum Kumamoto is to follow the activities of the club maple garden paintings grace.
I think is going to spread the project in conjunction with cultural activities, and is ideal.
Megumi Kikuchi maple in the garden, historical data room has been newly set up. Try to be at once by all means go.
Saryu

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2013年1月29日 (火)

ピナ・バウシュ 夢の教室

 DVD見ました。

 ピナ・バウシュはレンタルでは2本出ていて、夢の教室は1年かけて10代の男女とワークショップを重ねていくというもの。
 ピナ自身はあまり出ていなくて、10代の男女の心境の変化を追って行きます。
 感情表現は若い方が自由なのかという思い込みがあったのですが、そんな事はありません。特に10代は自意識過剰気味で、素直な表現というのが一番難しいという事に気づかされます。
 さらに、ワークショップに参加している10代の親の代は移民であったり、戦争が身近だったりと日本にいたら実感としてあまりない境遇の子供たちもいます。
 そんな中で、特に男女を意識した演目と、訳が分からないクリエーションにとまどいながらも自分なりの答えを導き出していく10代。
 ワークショップの手腕も超一流なのだろうと思いますし、なによりこんなワークショップがある事自体が素晴らしい事です。
 人は生きている限り、生活の中で自分の感情を押し殺す場面が多々あります。
 ダンスのクリエーションで、普段セーブしている感情を出せと言われても「無理」と言ってしまう女の子。
 日本に限らず、自然体で生きていくのは困難になってきているのでしょう。
 感情をワークショップで出していく訓練をするのは、本来の人間性を取り戻す事に繋がっていくのだと、見ていて思いました。
 同調圧力は都市部では世界的に強いのかも知れません。
 こうしなければいけないとか、かっこいいスタイルとかっこわるいスタイルを線引きして安心してみたりとか。
 いつのまにか誰かの都合がいいように型にはめられた事に気づかずに生きている。
 ピナ・バウシュの演目は伝統的なバレエの動きの中に、生の感情を体の動きとして表現する事で緊張と弛緩を見ているものに感じさせずにはおかない、とても厳しいつきつめたものだと思います。
 コンテンポラリーダンスなのでしょうが、そういうジャンル以前にDVDで見るだけで深い感動が胸の内に湧きあがってきます。とりあえずジャンルはどうでもいいとまで思ってしまう。
 これが世界クオリティーなのでしょう。
 必見の2本です。
 サリュ

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2013年1月28日 (月)

【町屋情報!】アニマルエイジin熊本市中央区新町2丁目11-19「かね屋」にて開催中!

いよいよ27日(日)より、熊本市中央区新町2丁目11-19「かね屋」にて現代アートの展示が始まっております。
 今日はKABのTV番組くまパワにて、18:30ごろより紹介される予定です。
 去年の8月に、1年ほど使用されずに閉まっていた「かね屋」を開いたときは、梅雨の湿気が残っていてムンムンしていました。
 それから様々にアートのクリエーションとして使用していく中、どんどん新しい姿に生まれ変わって来ました。今は可能性の塊としてアーティストたちの目には映るようです。
 かね屋という場所の特性を、それぞれのアーティストが咀嚼したインスタレーションが展示されています。アート専門用語で言うところの「サイトスペシフィック」という状況です。
 熊本の町中に、ほとんど初めて現代アートの展示が現れました。熊本アート史のエポックと言っても過言ではないでしょう。
 かね屋は一度、商店としての幕を閉じ、再びアートの現場として復活しました。
 フランスのことわざに「古い皮袋に新しいワインを入れる」というのがあった気がする。日本だと、温故知新という言葉になります。
 それを、あくまでクリエーションとして見せていくことを、NPOアートスイッチは信条とします。
 制作物や、行動という形を楽しんでいただくというスタンスです。
 理屈や論理をひとまずおいて置いて、「見て感じる、参加して感じる」企画をこれからも提案していきます。
 あ!楽しい!面白い!ともし思って頂けたら、その「楽しい、面白い」がなぜそう思うのか、その先に豊かな論理がきちんとあり、「そうだったんか!」となっていくのが理想です。
 その気持ちを「アートのスイッチ、オン!」状態として理想とします。
 アニマルエイジは2月3日(日)まで!
 是非お越し下さい。
 サリュ
Than (days), exhibition of contemporary art has begun at ya "KANEYA" 11-19 2-chome, Chuo-ku, Kumamoto Shinmachi finally 27.
Animal Age
Bear TV show of power by KAB, today is expected to be introduced from around 18:30.
When you open a store "KANEYA" was Shima~tsu in August of last year, and is not used for about a year, he was stuffy and still have moisture in the rainy season.
While we will use as the creation of art in various ways, I have been reborn in a new form and then more and more. Now is as reflected in the eyes of artists as a mass of possibilities.
Installation by the respective artists are exhibited chewing, the characteristics of the place called ya money. Situation is referred to as "site-specific" as referred to in art terminology.
Throughout the city of Kumamoto, exhibition of contemporary art for the first time I appeared almost. It would not be an exaggeration to say that the epoch of the history of art in Kumamoto.
Once, close the curtain as shops, shop bell is back again as the field of art.
I think that was in the French proverb that "put new wine into old wineskins," I will. And Japan's, I will be the word Onkochishin.
Art NPO switch and creed, and that will only show as a creation, it.
It is a stance that enjoy the production and shape, and behavior.
Put aside reason and logic, "feel look and feel to participate" in the future I will propose a plan.
Oh! Fun! Interesting! Ideally, I hope you and if you think, why do you think that "fun and interesting", but there is a logic properly rich beyond that, is going become! "It was either do so."
The ideal "switch of Art, on!" The feeling that as a state.
February 3 Animal Age until Sunday!

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2013年1月24日 (木)

アートスイッチバスツアー2ndの内容が確定しました!定員は20人!

 アートスイッチバスツアー2ndが、いよいよ3月2日(土)に催行決定致しました!

 内容はアーティストのアトリエ見学と、陶芸ワークショップ、コンテンポラリーダンス公演&ワークショップ、フォトワークショップに温泉昼食付!
 各アーティストも御承諾頂いております。
 もうしばらくすれば、詳しい内容もオープンします。
 前回も大好評だったこの企画。熊本のオルタナテイブアートを肌で感じる事ができるツアーになっております。
 くまもと21ファンド助成事業となります!
 初めてのツアーから2年経ちますが、未だこういった熊本アートバスツアーは他には見当たりません。
 熊本唯一といっていい、オルタナティブアートバスツアーです!
 一人だけ、アーティストを紹介します。
 そう、熊本が生んだコンテンポラリーダンサー、竹之下亮さんが今回は何と!ユニットで参加して頂きます!!
 現在は首都圏で活動中の竹之下さんが、ダンス公演&ワークショップを開催予定!
 熊本では去年のダンス公演「かぶりつけろ」in長崎書店リトルスターホール以来です。
 今後も順次、企画を公開していきますので、お楽しみに!
 サリュ
The art switch bus tour 2nd, we have decided departs on Saturday, March 02, at last!
Tour and studio of artist, content with hot lunch workshop pottery, contemporary dance performances and workshops, in the photo workshop!
We also practical with your acceptance of each artist.
After a while longer, you can also open details.
This project was very popular last time. Has become a tour that can be felt in the skin test Alternative Eve Art of Kumamoto.
It will be subsidized 21 Kumamoto fund!
Although the first two years from the tour, bus tour Kumamoto these art still is not found in the other.
I only said Kumamoto, it is alternative art bus tour!
Only one person, I will introduce the artists.
Yes, Kumamoto Contemporary dancers gave birth, this is what Ryo Takenoshita! Please participate in the unit! !
Mr. Takenoshita currently active in the Tokyo metropolitan area, to be held in the dance performances and workshops!
"Give head" is a dance performance last year in Kumamoto Nagasaki since Little Star Hall bookstore in.
Sequentially, so I will continue to publish the plan in the future, stay tuned!
Saryu

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2013年1月22日 (火)

1月27日(日)アニマルエイジ、オープニングパーティー!13:00!もちろん参加無料!

 いよいよ今週日曜日、27日13:00~より、熊本市中央区新町2丁目11-19にあります築130年の町屋「かね屋」で現代アートの展示が始まります。
 展示内容、プロフィールは上記のフェイスブックリンクに詳しいです。
 アートスイッチ以外での現代アートの展示は、「かね屋」では初めてです。
 熊本で現代アートのアーティストは極少ないので、大変貴重な展示になります。
 アートと言うと、自由というイメージがありますがそんな事はありません。ジャンルに関してはかなりシビアで、自分がどこに立っているか自覚的なアーティストすら、地方では珍しい部類に入ります。
 ある程度の知識があると、面白さが倍増します。
 もちろん、普通に見て面白い!という鑑賞もアリです。
 もしかして、アート解んない!になっている方は、27日のオープニングパーティーで直接アーティストに質問されてみてはどうでしょうか?
 色んな展示を見ていて、経験を積んでいても「?」となる事が山のようにあるのが、現代アートの面白さのひとつです。作っている本人も、追及する内に分からなくなる事もあるかも知れませんし。
 通常の展示スペースを出て、町へ介入してきた現代アートです。全国的には一般的になってきましたが、熊本では非常に珍しい展示方法となります。
 アートファンや町屋ファン、まちづくりの方々等にも興味深い展示となるでしょう。
 どのような展示になるのかは、当日まで詳細は分かりませんが楽しみですね!
 映像作品も多いようです。
 サリュ

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2013年1月21日 (月)

モヒカンポシェットの布地買い付け、21日に帰国予定です。

 初めて行った外国がパリでした。

 30歳のとき。
 そのまま夫婦で1年弱、15区の区役所近くの屋根裏部屋に住みました。
 その間、モヒカンポシェットはデザイン、縫製、ゴブラン織りの勉強をし、私はあるアーティストから(パリ在住の女性アーティスト、フランス人)、アトリエに通いながらマティス式のデッサンを勉強しました。
 初めて行ったルーブル、オランジュリー、オルセー美術館。
 分かってもらえると思いますが、絵を描く気持ちが半月位全く失せました。
 こんなに凄い絵が、死ぬほどあるのです、世界には。
 もちろん画集では知っていた絵ばかりなのですが、実際に見ると自分が絵を描いている事が馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
 岡本太郎が言った「俺はピカソを越えた」というセリフの絶望感を、初めて細胞レベルで理解しました。
 岡本太郎にとってというより、世界中のアーティストが死ぬ気で取り組んだのは、ピカソを越えるという事でした。それを「越えた」という胆力はやはり、並大抵ではありません。
 今も昔も私の中で、一番凄い画家はエドガー・ドガなのですが(ドガの事を知らない人に説明するときはドガ先生と呼ばせて頂いてます。あと、モンマルトルのお墓へ3度参らせて頂きました)、次はトゥールーズ・ロートレックです。
 ほとんどこの2人からしか影響を受けていないと言って過言はないのですが(フェルメールは、好きなだけで影響はほとんど受けていません)、オルセーで一番ガツンときて絵を描くのやめよっかなとまで思わされたのは、この2人ではなく実はルノワールの「ムーラン ド ラ ギャレット」でした。
 当時の富裕層の流行の風俗を描いていますが、その構図、色使い、視点の誘導、あらゆる要素が完璧過ぎて、二度と見たくないかもレベルのトラウマになりました。
 風俗を描いて、普遍性を保つ。
 それには、ここまでの技術に裏打ちされなければいけないのだと。
 ドガ先生とロートレックも同じ理由で凄いのですが、ルノワールのあの絵はいけない。私が目指す何かと完全にシンクロしていてしかも非の打ちどころがない。完璧。
 画集では何十回も見ていた絵なのに、実際に見ると打ちのめされる。
 昭和初期の芸大で、他人の才能を目の当たりにして自殺という事は割と頻繁にあった事で、レベルは違いますが同じ感覚です。それと。
 しかし、運がいい事に私は自分に才能がない事を知りぬいていたから、あの絵がどうすごいのか自分なりに分析を始めます。技術があるのなら、知ればいい事。
 そして様々な分析、自己調査を経て熊日デザイン賞で賞を頂いた三部作をやっとこ描き上げました。
 特に「週末ソウル」という絵は、ムーラン ド ラ ギャレットとオルセー美術館で出会わなかったら描けなかったでしょう。あ、作品集にありますので見てみて下さい。
 何が言いたいのかというと、自分は才能ないと思っているアーティスト目指している人がいるなら、自分が凄いと思う作品を分析、研究するところから始めた方が、色々早いんでないかと経験から思います。
 最近は、クリムトから着想を得る事が多いです。
 やばい、全然コンテンポラリーアートの話にならない。
 サリュ
 

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2013年1月14日 (月)

【天王山】

 いよいよ本日13:00、自分史でも天王山と言える、プレゼンが始まります。

 諸先輩方はどういう気持ちだったのか。
 アートをとりまく「状況」をつくる為に、幾多のアーティストが九州で奔走してきました。
 「状況」とは、アートを鑑賞、審美する観客の分母を増やす事であり、質が高いアーティストを育てていくことを指します。
 2013年に生きている身にとって、40年前のアーティスト達が目指した「状況」は、むしろ後退しているように見えます。
 そして、これからもその分母が劇的に増える事はないという、冷静な状況判断は必要です。
 それは諦念ではありません。
 これまでも、九州のアーティストは全員そこから始めるしかなかったのですから。
 結局のところ、自分の中から湧き立ってくる「もっといいクリエーションがあるだろう!」という血の騒ぎに従うしかありません。
 納得いくまで何かを生み出すのだ、こういう風にしか、生きられない。
 そういう人達がいる限り精神やプライドや、身銭を切ったり、そういったものをすり減らしながらでも、表現する人達の為に表現する場を地方につくる。
 それがNPOアートスイッチ設立当初からの役目です。
 恐らく一生の間に出来る事など、たかが知れている事を、アート史を紐解けば誰でも理解できる。
 だからこそ、目の前に可能性が見えた時は、考える前に掴み取る。
 掴んだものが何であれ、掴む瞬間の何にも代えがたい高揚は挑戦した人にしか分からないでしょう。当然、大概手痛い失敗の方が多いですが。
 天神イムズアートマンス。
 その先に何が待ち受けているのか。
 誰にも分からない。
 もし分かっていたとしたら、やらないですけどね。
 新しい可能性を切り開く時は、怖くて怖くて仕方がないです。
 サリュ
 

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2013年1月12日 (土)

【重要情報】

 14年前、福岡天神イムズでは九州アート史に残る、九州コンテンポラリーアート展が長年の幕を閉じました。

 天神イムズがコンテンポラリーアートとの関連を深めた90年代でした。
 それから干支が一周し、さらに数年経ちました。
 2013年。
 コンテンポラリーアートの歴史がある福岡の街。そのメッカ、天神イムズ。
 そこで、NPOアートスイッチは、アートイベントの企画を提案中です。
 10月を目標に、丸1カ月間をアートマンスという事で、ディレクションに奔走しています。
 本日、紺屋2023の野田さんと話し合い、できる限り提携して頂く事になりました。これはもう熊本市現代美術館の坂本学芸員に繋いで頂いた縁で、それで九州のアートシーンが動くとしたら何か言葉にはできない(誰かして下さい)事が起こるという事です。ありがとうございます。
 もしかすると、荷が勝ちすぎて企画自体が無くなる可能性も当然あります。アート関係者であれば、この企画をアートスイッチが担っている事自体が不思議なくらいの出来ごとですが、事実です。
 自分で言ってしまいますが、今、九州のアートシーンは地殻変動中です。このイムズアートマンスの提案にしても、新しい時代の幕が開き始めたのではないかと思う訳です。
 運命的なものを感じます。
 九州産業大学芸術学部「総合造形科」を卒業しました。コンテンポラリーアートに対応する科でした。しかし、卒業から10年、コンテンポラリーアートに背をそむけてひたすらパステル画を描きました。
 そういう経緯で、あらゆる九州のコンテンポラリーアートの動きや組織、団体、歴史のくびきからアートスイッチは自由な組織です。
 かと言って、知らない訳ではありません。福岡のアーティストが積み重ねてきた活動は、もの凄いものがあります。
 しかし、そこに拘泥しません。
 コンテンポラリーアートというのは、ミニマリズムにおいて存在の可能性として、終着点を迎えたと考えています。
 今生きているアーティストがやるべき事は、すでに提示し尽くされた可能性を鮮やかに選び、組み換えて現代に通用する価値に変容させる事以外にはありません。特に商業施設で行う場合。
 そういう意味では、今回の企画はコンテンポラリーという冠を下ろします。前衛美術には、一部ならない可能性があります。
 九州のアートシーンを凄い事にするぞ。
 うわ~、言ってしまったな、いよいよ…
 サリュ
 
 

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2013年1月 8日 (火)

サブカルチャーという誤解②。

 サブカルチャーというのは、読んで字のごとくサブのカルチャーです。という事は、メインカルチャーというのがあるはずで、これが一般には諸芸術に当たるものと思われます。

 文学、クラシック、演劇、伝統芸能、美術等でしょうか。
 日本の美術界は、明治維新前後に西欧から油絵の技術を輸入します。科学的なパースや構図の考え方や、色の捉え方(スペクトラム解析による、補色の相関等)。日本美術界のエリート達が、命がけでパリへ留学して様々な概念を持ち帰りました。
 この源流からの流れが、国展や二科展を代表とした、様々な美術団体運動として歴史をつくっていきます。
 え~、大変大雑把な説明ですが、サブカルまで辿りつくために色々省略します。
 世界的には1920年代にダダが起こりますが、日本ではまだ表面的にはあまり関係ありません。この美術界の流れが、今も日本美術界の保守本流です。西欧アートを血肉化しようとして血道を上げた王道です。メインカルチャーと思われているもの。
 思われているもの、という考え方が骨子になります。
 戦後、停滞していた様々な文化的活動が活性化します。
 その中に、巨人「手塚治虫」が生まれます。
 今のサブカルチャーの源泉です。新しいフェーズです。
 ここが一番重要なのですが、手塚治虫は映画の手法を漫画に取り入れ今も通用する、読み方のテキストを次々に確立して行きますが、西欧アートのテキストには全く関心を持ちません。
 何故か。それは読み手ありきの、エンターテインメントだからです。メインカルチャーのテキストとしての西欧アートは文化ではあっても手塚治虫が作品を届けたい層には、娯楽ではなかったのです。
 もともと浮世絵が持っていた遺伝子が、ここに完全に受け継がれます。娯楽としての二次元の絵です。
 この大分岐点を後世から振り返ってみて、純粋に日本美術の遺伝子はどこに受け継がれているのかは、明白だと思います。
 今、サブカルチャーと呼ばれている分野です。
 もう何度考えたか分かりませんが、何度考えてもそうとしか思えません。
 やっとサブカルまできたぞ。
 サリュ
 

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2013年1月 6日 (日)

サブカルチャーという誤解。

 今、サブカルチャー、もしくはステレオタイプにオタク文化として捉えられている、漫画やアニメの世界があります。

 アートファンには既知ですが、村上隆というアーティストが、この日本独自のカルチャーを欧米の「アート」という文脈から読み解き、成果を上げました。
 一部のサブカルファンからこの事で、誤解なのだか真実なのだか分りませんが、「オタクカルチャー」を利用してお金を儲けているという風に捉えられて嫌われている現状があります。
 単純に考えると、世界のアートシーンにオタクカルチャーが、アートというテクストで一定の位置を得た事は喜ばしい事のはずです。
 しかし、現状ではサブカルファンの人たちから、村上隆のムーブメントは理解を得られていませんし、今後もないような気がします。村上隆が提唱した「スーパーフラット」も、アニメイトやメロンブックスに自活する人々には届きません。
 都市圏ではこういう議論は、アーティストが寄れば話題になるかも知れませんが、熊本にいてアートに携わっていても全く耳にしません。
 サブカルが持つ、地方でも影響力を失わないでいられる原動力は何なのか。その辺も、アート関連の方は既に分析済みでしょう。
 究極の消費システムへの順応です。つまり、作品のオリジナル性は内容によってのみ価値があり、媒体自体は既製品、コピー、ダウンロードなど何でもいいしそういう既製品へ代価を払う事が当たり前の世界が出来上がっているという事です。既製品(大量のコピー)に価値がきちんと認められるならば、これ以上の波及効果があるシステムは考えられません。表現の世界で。
 これは、物凄い事で、実は。自閉だ何だと言われようが、そういうカルチャーが機能している事を大人へなりたくない幼児性の現れだとか言う事はできますが、表現に対してここまで経済が回っている世界って何なんのだろうと思います。
 そこへ来ると、現代アートの世界では困ってしまいはしないか。同じ思想はアメリカでポップアートがやり尽くしているし、新しいアートの概念何かは今の日本のサブカルから出てきません。
 そこでのスーパーフラットなのでしょう。全てを巻き込んでテキストを構築した村上隆の分析と行
動力と腕力は端倪すべきものがあります。
 また今の日本美術とは何ぞやを書きそびれた。
 サリュ
Now, there are seen as cultural stereotypes or geek subculture, the world of manga and anime.
It is known to the art fans, the artist Takashi Murakami, decipher from the context of the "art" of Western culture of this unique to Japan, was successful.
There is a situation that at this thing from a subculture some fans, I do not know if the truth or It's a misunderstanding, hated caught wind that they make money by using the "otaku culture".
In the simplest analysis, that the geek culture, to give a certain position in the text of art in the world art scene that is supposed to be joyous.
However, people in fan subculture, it does not have to gain the understanding of the movement Takashi Murakami, at present I feel like I will not in the future. Takashi Murakami is also "super flat" as proposed, does not reach the people who make a livelihood to animate and Meronbukkusu.
In urban areas this kind of discussion, might become the subject of the artist says, I do not hear at all even if they are involved in art in Kumamoto.
What is the driving force that is has not lost its influence subculture has, even in rural areas. That side as well, who would be related art already been analyzed.
It is the adaptation of the system to the ultimate consumer. That is, the original of the work is worth only by the content, it will pay to such a ready-made world for granted is that the medium itself has Dekiaga~tsu do anything good off-the-shelf, copy, and downloads. If the value is recognized properly in off-the-shelf (a copy of the mass), a system that has more ripple effect is not considered. In the world of representation.
By terrible, this is, in fact. What would it autism would be said, although you can say or it appeared of infants would not want to adult that culture like that is working, I Tsu world economy is turning up here for an expression I wonder what Te and what I think.
When there come to you or not is embarrassed in the world of contemporary art. Pop Art is the same thought I have exhausted doing in the United States, the concept of something does not come out of the new art subculture in Japan today.
It is probably the super flat there. Takashi Murakami and line analysis of the text was constructed involving all
Power and physical strength has something to Tangei.
Ya missed what was written each and now also of Japanese art.
Saryu
 

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日本美術の今(アートではない)からテクストを読み解くbyアートホーリーメン

 このブロブでは珍しく、アーティスト紹介で今回紹介するのは、アートホーリーメンです。

 この正月、アートホーリーメンと会う機会に恵まれ、アートとは何ぞや、日本美術とはなんぞやなどを密度高く話しあいました。一度は美術史家の小倉正史さんを交えて3人で半日話したりしました。
 アートホーリーメンが描く「ホーリーマン」の世界を、アートとか日本美術というテクストで読み解くときに、彼の立ち位置はどこなのだという問いから今回の話が始まります。
 テクストで読み解くという行為自体が非常にアートの考え方なのですが、この「アート」というテクストとは無関係な「日本美術」というものが、現代に存在するのかという疑問から答えを導き出すと、どこに行くことになるのか、熊本では。
 そう、アニメイトとメロンブックスです。
 ここまで技術的に高度なレディメイドの、完全娯楽な創作物が氾濫し、しかも経済的にちゃんと回っている場所は「アート」のテクストの範疇における場所、例えば美術館やギャラリーではありえません。
 村上隆以降、この現象を避けては通れないのに、地方ではあまり語られる事がない。
 何故かというと、現在進行形の現代アートというテクストを熊本というローカルにいて正確に精度が高く理解しているアーティストが皆無だからです。どこを見回しても、美術館とアニメイトを本気でうろつくアーティストはいません、学芸員も多分いません。膨大なアニメや漫画を見ずして、pixivやカオスラウンジが一時的に何をしようとしたのか理解できるはずがありません。しかしその昔、村上隆や会田誠はそういう事に敏感な若きアーティストだったはずです。今や、コインの裏と表の役割ですが。
 熊本にいて、日本美術と西欧アートのテクストに本気で挑んでいるのはアートホーリーメン以外にはいません。
 日本のアニメがジャパニメーションとか戯けた名称(今はクールジャパン)で呼ばれる以前から、自然に漫画、アニメの恩恵に浴していたアートホーリーメンですが、アートというテクストを前にした時に科学反応が起こります。
 自分が今表現したいものは、一体何と呼べばいいのか。
 アートか、漫画か、何か。
 娯楽か?何か意味がある事なのか?
 そう。
 まさに、問いがない場所に問いを見出し、答え無き場所に答えを見出す。人生の時間の大半をその事に注ぎ込み、結果と責任を全て一人で抱え込む。
 正真正銘の端正なアーティストの姿がここにあります。
 ここら先、もっと重要なアートホーリーメンの宣言があるのですが、もっと詳しくテキストを書かないとおいそれと書けない内容ですのでまたの機会に。
 サリュ
In this blob is rare, this time to introduce artists in the introduction is an art Holy Men.
This New Year, a chance to meet with Art Holy Men, were talking with each other what each and high density, and shall find, and the Japanese art is art. Was once a half-day or three people talk sprinkled with Mr. Masashi Ogura art historian.
This story begins when the art in the text of Holy Men can decipher the Japanese art or art, the world of "Holy Man" drawing, his standing position is that It's a question of where.
Very act of deciphering in the text, but is a concept of art very much, and derive the answer from the question and the text of "art" is something called "Japanese Art" irrelevant, that what exists in the modern world, where it goes I would it, in Kumamoto.
Yes, animate and Meronbukkusu.
Place in the scope of the text of "art" is a ready-made place technologically advanced, creative entertainment stuff full flood so far, are turning to properly and economically, there can be no example in museums and galleries.
Takashi Murakami and later, but is not impassable to avoid this phenomenon, in rural areas have never been told much.
Why say, artists who understand exactly high accuracy of Kumamoto texts that are in the local contemporary art progressive because I am currently free. For everywhere we look around, we do not really hang around artists animate the museum and, maybe even not have a curator. Should not be without seeing a huge anime and manga, you can understand what chaos and lounge pixiv or tried to temporarily. Once upon a time, Takashi Murakami and Makoto Aida is was supposed to be sensitive to things like that but young artists. Now, it is the role of the ins and outs of the coin.
There is no other than the Holy Men art but in Kumamoto, does are really challenged to the text of Japanese art and Western art.
Previously referred to in (Cool Japan now) is Art Holy Men that have been benefited from manga, anime naturally name Japanese animation was jest or Japanimation, the chemical reaction when you before the text of art happen.
is what you want to express now, I Jove what on earth do we.
Or art, or comic, something.
Or entertainment? Is it such that there is something meaningful?
So.
Indeed, there is no question where to find the question, I found the answer to the location with no answer. Poured into that thing most of the time of life, saddled with all the responsibility alone and results.
Here is a neat appearance of genuine artists.
I have a declaration to which hereabouts, Holy Men of Art, more importantly, to chance so I can not write what you do not write a text Oisoreto more details.
Saryu
 

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2013年1月 3日 (木)

【かね屋最新情報!】アニマルエイジ Animal Age 展の詳細です。

 あけましておめでとうございます。

 本年も宜しくお願いいたします。
 さて、新年最初のアートスイッチの活動ですが、熊本市中央区新町にある「かね屋」という町屋での、コンテンポラリーアート作品の展示に協力して行きます。
 以下詳細です!
展覧会タイトル:アニマルエイジ Animal Age
期間:2013年1月27日(日)~2月3日(日)
オープニングパーティー 1月27日(日)1:00pm~ 参加自由
オープニング:1:00pm~/最終日4:00迄
会場:かね屋
 
概要:人類滅亡、世界の終わりと言われた2012年が過ぎ怒濤の新年を迎える。
原発が崩壊し人類や動物の失われた野生やDNAが目覚め、新たなアニマルエイジを迎える。
人はパンのみで生きられない、しかし力で世を制するならばそれは再動物化の道だろう。
 
出品者予定
Yukie Iwao, Rika Shirai, Kenichi Shimojo, Kazuko Matsumoto, Kohei Higashi, Jun Hataraki, Yasuyuki Saegusa
製氷業だった新町の町屋「かね屋」、廃屋化した建物の中に動物化をテーマにした作品が設置される。廃屋は東北の震災を彷彿とさせ、現代日本の象徴のようでもある。近代が産んだ均質空間や遠近的な世界観が崩れようとしている今、カタストロフから蘇るのは人の野生なのかもしれない、または名付けられた事の無い感性の到来なのだろうか?
崇城大学 芸術学部 三枝泰之
参考URL
http://genesis.jpn.com/
http://asofolkschool.eco.to/genesis/index.html
 フェイスブック、アニマルエイジ公式サイト
 以上です。
 その他、新しい情報が入り次第、公開して行きます。
 アートスイッチは宣伝広報にて協力して行きます。
 今回程、コンテンポラリーアートの純度が高いグル-プ展示は「かね屋」では初めてです。とても楽しみです!
 サリュ

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