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2013年5月 7日 (火)

4部作の1作目が完成しそうです。2年かかりましたが、残り3作は1年以内に制作したいです。

 絵画の制作は、路線というか方向性を打ち出す、コンテキストを明確にするのが重要で、それをどう描くかという技術は個々人の美術家で違ってきます。

 技法が重要なのではなく、コンテキストとのマッチングが大事です。
 
 
 現代アートは、現代のなにかを表現するものだろうと思うのです。今の自分にとって重要なことを作品として表現する。
 
 その、制作時間の分だけ、作品制作タイプの美術家は「現代」からは遅れてしまいます。なので、現代そものを表現することは制作タイプには最初から無理なのです。
 
 多くの美術家は「現代性」という、少し広範な考え方にシフトします。
 
 現代性を獲得する為には、日本のアートシーン以外の現実の現状を、把握する必要もあります。日本の近代史です。
 
 また、身体表現、パフォーマンスというのは、この「現代」という今に肉迫する表現形態です。多くの前衛芸術家がパフォーマンスを採り入れてきたのはこの、作品制作時間というタイムラグを無効にしようとした試みではなかったかと、最近思い始めました。
 
 現実へのアートの介入がハプニングやパフォーマンスでしょう。
 
 しかし、ここにもジレンマがあって、現実に肉迫できるタイムスパンが非常に短いことです。最近は映像技術が上がって記録が鮮明に残りますが、それでも場の空気はなかなか感じ辛いものです。生ものに近い。
 
 そういうものは記録としては重要でも、単体としてみるとドキュメントでありアート作品とは言いがたいですよね。
 
 アートプロジェクトというのは、その間隙を埋めるための複合的な試みでしょう。そのひとつ前にインスタレーションがありますが割愛します。
 
 全国の地域で行われるアートイベントを観察していると、最近面白い動向が窺えます。アーティストや従来の意味でのアートが必要とされなくなってきているのです。
 
 何だか分からない、どう分類していいか分からないものをとりあえずコンテンポラリーアート枠に収めておこうという、状況が生まれ始めています。
 
 
 AAFの中をちょっと見ただけでも、こんな感じです。とがびは、アーティストはいらない例として。
 
 現代アートの現代性を推し進めると、アートが希薄になるのは当然の帰結でしょう。
 
 作品制作タイプの美術家は、いつまでたっても少し時代遅れになるのは仕方ありませんが、代わりに普遍性を考えるべきでしょう。
 
 この、普遍性の身の置き所がコンテキストに他なりません。私にとっては。
 
 絵描きはいつまでたっても、多分人類が滅ぶまで、時代遅れの美術として存在し続けると思います。人類最古の絵は3万2千年前のもの。
 
 絵が始まったときから、様々な意味が付託されてきて現在に至ります。絵画は現代アートの文脈の中では終わったアートピースだと思いますが、世界中で制作されています。思想的には終わっていますが、現実的には終わらない。だから、制作を続ける為には沢山の意味をまとう必要があるのです。絵描きという美術家には。そこに自覚的でない絵描きを、私の中では「天然な作家」と分類しています。天然な作家の条件は只一つ。天才であること。
 
 自分の作品への意味の付託をおろそかにすることはできません。
 
 絵を残してきた先人への冒涜に等しいからです。
 
 サリュ
 
 

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