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2013年7月12日 (金)

信念より、気持ちや感情が大切にされる社会は混乱を招くのかも。

 何でそういうことを考えたかと言うと、メリル・ストリープ主演のマーガレット・サッチャーを以前見て、「そうだよ!」と納得したからです。

 現代では、信念を貫く生き方より自分に素直にとか、日々の気持ちを大切にとかのメッセージの方をよく目にします。
 
 とても東洋的な考え方で、あるがままに生きることを推奨していますね。
 
 非常に個人的な話なんですが、そういうもの言いがとても苦手だったのです。「他人の日々の感情とか知らんがな!」「あるがままに生きてるんじゃないよ!もっと自分を律せよ!」とずっと思っていて。
 
 考えがすっきりしなくて、ずっともやもやしていたのですが、映画の中でサッチャーの「気持ちや感情より、信念を大事にせよ」というのがあって、腑に落ちました。
 
 信念を貫く為には、色んなことを我慢したり、「武士は食わねど高楊枝」だったり、むしろ日々の感情や、ありのままといった姿の真逆です。
 
 武士は食わねど~は、半分笑いが入っていながらも、人を武士という型にはめた姿を尊敬している部分もあったはずです。貧乏しながらも、誇りを失わない。実利に敏い人から、嘲笑されながらも畏怖されていたと思います。信念を貫く人への、この畏怖の部分が重要です。
 
 信念は、貫く事で熱量を生みます。他人と共有することで、時代を回天させる程の行動力が引き出されます。信念の為に、自分の命を運命という天秤に載せる無茶までやります。
 
 日々の気持ちに素直に生きていては、信念を貫くときに発生する苦痛という副産物に、抵抗できません。とにかくきつい。自分に素直に生きていては、どうしても楽な方に流れてしまいます。
 
 そういう生き方が何故推奨されているのか、考えています。人々が、些細なことに一喜一憂することは誰にとって都合がいいのかな。
 
 毎日新しいトピックがあり、それについていちいち感情を動かし、日々揺れ動いていく気持ちに素直に生きて行く気はありません。
 
 自分の信じたことをゆれ動かさず、そのことに対してゆっくりとでも進んでいくような人間に、私はなりたいです。
 
 その為に生活に不都合が生じたり、気持ちを害するようなことが起こるとしても、それが一体なんなのだと言いたい。これまでも、色んなことに傷ついたこともあったかも知れませんが、そんな傷は信念を貫く為にはついて当たり前だろうと。今なら思える(笑)
 
 思えない時も、もちろんあったと。
 
 信念というものは、若いときには純度が高く、無条件にあったりします。歳を取ると、世間知が身について希釈されていきます。それは悪いことではなくて、むしろ当たり前で、そうしなければ大事なものを守れないことに気付いたときに大人になるのでしょう。
 
 そうなった時にも、譲れないものが果たしてあるか?
 
 大人になったときに、それでも譲れないものがあるなら、それ程純度が高い信念もないでしょう。
 
 自分の日々揺れ動く気持ちより、長年磨き続ける信念を大事にしたいなという話でした。
 
 間違った信念は、人類に大厄災を招きますけどね、ヒトラーや世界各地の軍事政権やテロとか。
 
 信念を日々リテラシーしてアップデートする時代なんだな(笑)
 
 サリュ
 
 
 

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