« 陰謀論。 | トップページ | 熊本、金峰山周辺の里山の活用について。熊本市は夏目漱石を軸に動くそうですが、それは柔道と空手のマス大山の理論に準じたい。 »

2015年2月18日 (水)

地域アートについて、個人的な考えです。

 世間では、地域アートについて、やっと色々話題になってきているようですね。

 

 アートスイッチでも、熊本の様々なシーンでアートの社会化とはどういうことかをイベントとして活動してきました。

 

 その中で思うのは、地域の中には様々な種が眠っていて、とてもはっきり見えます。これに手をかけてあげたり、少しだけお金をかけたりすれば周辺の人々を巻き込んだ大きい「何か」になるのかなぁという種です。

 

 それは、その場所にずっと固定して暮らしてきた方々には、当たり前にあることが多いから、それが「種」だと気付いていないことが多々ありますね。

 

 そういう「種」を、発見するのが地域におけるアーティストの役割の一部だと思います。

 

 ただ、アーティストには、地域活性化という名目で利用されるんじゃないかと懐疑的に思うような地域の反応もあったりします。

 

 その逆で、なんだかわけがわからないという理由で、地域に敬遠されるイベントだったり。

 

 あと、一番多いのが、少し集客や反響が大きいと「自分たちだけでやれる!」となった地域から、追い出されるような感じになりがちなことです。

 

 この例は、実に全国様々な例を聞きました。福岡の田川の例とか、有名ですね。

 

 表面だけ見ると、アーティストがやっていることは簡単に見えますよね、やっぱり。

 

 地域住民だけで、自分たちだけで継続してできると思ってしまいますよ。

 

 似たような例で、ピカソの線描きのデッサンて、誰でも描けるように勘違いする人も多そうだし。カンディンスキーのコンポジションは、真似れば簡単。草間彌生はドットでしょ?という捉え方。

 

 地域アートの中で重要なことは、真似で何の意味があるのかなぁということかも知れませんね。

 

 これは、ある程度田舎じゃない、都市圏じゃない、地方都市に当てはまるのかな。

 

 熊本市という地域の中で、地域アートを成立させるのは、正直至難の業かもしれません。中途半端に生きている自治会、意味が分からない幾層にも重なった繁栄会や商圏のレイヤーをかいくぐり、町の区割りや顔役へのお目通りをこなした先に、表現の場がやっと立ち上がってくるんだな。

 

 徹底的に壊れた地区なら、まだ目がありそうな気もしますが、熊本は結構元気だからな。

 

 アートという角度が、地域に入ったときに何が起こるかを実際に目にしました。

 

 今日も、とっちらかったことを延々書いていますが、何でそうなるかというと渦中にいるからです。当事者だから、うまくまとめて書けません。

 

 地域の中に「種」はたくさんあるのに、それを伝えられないもどかしさはありますが、おいおい徐々に動いていきます。

 

 地域アート、結局はまだ始まったばかりだってことだと思いますけど。

 

 サリュ

 

 

|

« 陰謀論。 | トップページ | 熊本、金峰山周辺の里山の活用について。熊本市は夏目漱石を軸に動くそうですが、それは柔道と空手のマス大山の理論に準じたい。 »

櫻井栄一」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 地域アートについて、個人的な考えです。:

« 陰謀論。 | トップページ | 熊本、金峰山周辺の里山の活用について。熊本市は夏目漱石を軸に動くそうですが、それは柔道と空手のマス大山の理論に準じたい。 »