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2015年7月

2015年7月25日 (土)

小川のモヒカンポシェット農園、収穫が始まりました。

 6月から始めた、農園の収穫祭が始まりました!

 今日はモロヘイヤの摘心と、間引き菜が初収穫になります。

 もうすぐすれば、枝豆の収穫ができそうです。半分は枯らして、大豆にしようと思います。

 種をF1種ではなく、原種の種を蒔いていますので、収穫した大豆がそのまま来年の種になります。

 大豆を作った土地は窒素が集まるので、土が肥えるそうです。

 大豆のあとには、少し地力が必要なものを植えようと計画しています。

 先週、新しい畝を立てて蒔いた小豆の芽が出ていました!豆類の発芽率は驚くばかりです。

 人参もだいぶ、伸びてきました。後は、成長率を見ながら、徐々に密集しているところを間引いていきます。

 かぼちゃは、少し成長が遅いのが気にかかりますが、経過を見守っています。

 冬瓜は一株しか芽が出ませんでしたが、元気に育っているところ。

 8月後半から9月にかけて、新しく種を蒔いて行く時期です。何を植えるか、考えています。

 全て原種の種なので、収穫した種を来年も蒔きます。

 自然が教えてくれることは、大きいです。畑に生えた草の種類の違いや、そのときにいる虫の種類など、そのときどきで違います。

 どういう変化なのか、まだよくわかりませんが、観察をしています。

 次はネギかな~。

 サリュ

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2015年7月18日 (土)

【A-クロニクル】制作準備中。

 A-クロニクルというタイトルの絵画新作制作の準備を進めています。

 非常に社会的な内容になる為、準備に結構時間が掛かっています。どこかで打ち切って、制作を始めないといけません。

 ダークファンタジーなので、事実そのままの表現にはならないと思います。

 1940年の日本、熊本から舞台は始まるでしょう。

 1940~1945年というのは、今の日本を形作る上で、非常に重要なことがいくつも起きています。

 とっかかりから大変ですが、その後も大変な制作になることが予想できます。

 しかし、楽しみで仕方ありません。

 溢れるほどの絵画創作意欲というものが、久しぶりに起こっています。

 今の日常は、モヒカンポシェットの11月からの大阪企画展用にオブジェクトを制作中です。

 その他にも色々ありますが、絵画制作は合間を見てやっていきます。

 今日は、「わたしの、終わらない旅」というドキュメンタリーを見ました。

 うすうす知っていたことを、映像で見た感じです。アメリカはビキニ環礁で67回の核実験。ソ連はカザフスタンで470回の核実験。

 正直、人類は狂っているとしか思えない。もちろん自分を含めて。

 この狂気を自覚するところから、話を始めないといけない。

 日々、直接自分の手を汚さず、キレイに生きているつもりでも、つもりなだけなんですね。

 実際には誰かの犠牲の上に、この生活は成り立っています。

 それを可視化していくのが「Aークロニクル」になります。

 人類の狂気の可視化。

 当事者として描く。

 需要はなさそうですね…

 サリュ

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2015年7月12日 (日)

A-クロニクル 新作制作について。

 この3年程、絵は描いていたのですが、本作というか個展で発表しようとまでは思えないものばかりでした。

 それというのも、以前描いていた、自分の内面を掘り下げていく描画への興味を失ったからです。

 自分は何者?

 という焦燥と不安に焦点を当てた絵でした。

 その焦燥と不安は、前より大きくなっている位ですが、それそのものを描こうという気持ちにはもうなれません。

 この3年で、日本は激変しました。

 どちらかと言えば、暗い時代が来そうな予感がします。

 なぜこういう方向へしか進めないのか。

 素朴な疑問を、自分なりに解き明かしていく作品が「A-クロニクル」というタイトルの新しい作品になります。

 画材は、基本的にはペンとインクですが、そのときそのときで色々使っていくと思います。時にはオブジェクトも制作するでしょう。

 自分の頭の中では物語になっていますが、作品を見たとき観客がそう思えるかどうかは分かりません。

 もう、十数枚の絵が浮かんでいて、描きはじめたら膨大になるかも知れません。

 作品サイズは、基本はA4ですが、シーンによっては大きい1枚ものの絵になります。

 これはアートなのか?と言われれば、違うかもしれないと答えます。

 今の日本で何か制作する、ということへの態度表明です。

 あとは、見た人が感想をぶった切ればよろしい。

 妄想を爆発させます。

 世界の構造への怒り、悲しみ、親しい人たちへの信愛と、それが奪われて行き続けることへの憎悪、対立、諦め、かすかな希望。過去のリテラシーと、未来への展望。現実のサバイバル。

 抽象的な表現はほとんどないでしょう。

 今まで幾多の芸術家が試行錯誤してきた、新しいコンテキストを生み出す試みなんてものはこの新しい作品にはありません。

 あるのは「ストライク・バック」

 殴り返す精神。

 現実に妄想でストライク・バック。

 今、熊本の一アーティストが表明しなければいけないのは、日本の中央のアート界に対するでもなく、世界のARTのコンテキストでもなく、暗い時代に入って行こうとしているこの日本に対しての意志なのです。

 さらに、一日本人として、グローバリズムとも対応していかなければいけません。

 グローバリズムって、世界標準のことじゃなくて、世界的にどこを収奪の目標にするかを、収奪する側が話し合って決めるルールのことだよ。

 そういうことも含めて、作品にぶちまけられればいいな~と思っています。

 こうご期待。

 サリュ

 

 

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2015年7月 9日 (木)

バルセロナ、パリの旅を終えて。

  今回、初バルセロナに行ってきました。

 何度も書いているかもしれませんが、作品は生で見ないと全く意味ないということを痛感した旅でした。

 バルセロナといえば、アントニ・ガウディの建築です。

 写真やガイド、歴史本を予習して本物に挑んだのですが、初っ端のグエル邸でノックアウトです。

 嵐の予感。

 パリのアールヌーボーとはまた、全く違う、命が迸る建築。そう、石の建物なのに血が通っているように感じます。うん?血じゃないな…生命力というか、命の根源のエキスというか。

 ガウディは建築を通して、命の根源を見ようとしているような、そういう印象です。

 サグラダ・ファミリアがまた…

 命を通り越して、世界、宇宙の真理を追究しているような。宗教の根源に迫る「信仰」とは何から生まれてくるかを追求しているようで。

 ガウディの意志を継いで、後継者たちの解釈で建築されていく建物が、全体でみると人間という存在の面白さを感じます。

 ここでは、現代アートとは違う「受け継いでいく」という感覚に溢れていて、それが建物が持つ生命力ととても合っています。居心地いいんです。こういう教会は初めてでした。

 パリやイタリアでも結構教会には行きましたが、サグラダ・ファミリアはそういう教会とは全く違います。人種や宗教を越えて全世界から人が集まるのは、「信仰」の根源にアプローチする建築だからと思いました。

 カサ・バトリョ、コロニア・グエル、グエル公園。

 バルセロナはガウディ一人の建築の魅力で持っているような街でした。

 もちろんタパスも旨かったですけど。

 忘れてはいけない、バルセロナのピカソ美術館。

 ここの一番の見どころは、ラスメニナスかもしれません。

 ピカソがなぜ今も新しいかというと、絵画のオリジナリティを破棄することで、生みの苦しみを排除したことでした。

 さらに恐ろしいことに、他のアーティストが生みだした表現形式を一気に推し進めて、無に帰すこと。

 だから、彼の筆の速さは異常です。

 延々短距離走をしているようなものだから。

 形式の模倣→把握→新しい方向性→他者の追随を許さないスピード。

 この冷酷にして、斬新な絵画手法についていける絵描きは現代でもいません。

 まず、最初の関門「他者の形式の模倣」をすることが、先ず憚られますが、ピカソはそんなこと気にしません。

 理由は簡単です。

 最初からその形式を破壊するつもりだからです。

 パリのピカソ美術館に改めて行って、はっきりしました。

 こんなに冷酷で、華麗で、圧倒的なアーティストだったんだ、ピカソ。

 圧倒されるけど、好きになれない理由も分かりました。

 やだろ、まわりにこんな天才いたら。

 必死に画風を模索して、やっと芽がでたら模倣されて、圧倒的な先見性で先にいかれるんだものな。

 画家殺しですよ。

 この旅では、本当に色々収穫があり、今後の制作に生かせそうです。

 サリュ

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