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2015年7月 9日 (木)

バルセロナ、パリの旅を終えて。

  今回、初バルセロナに行ってきました。

 何度も書いているかもしれませんが、作品は生で見ないと全く意味ないということを痛感した旅でした。

 バルセロナといえば、アントニ・ガウディの建築です。

 写真やガイド、歴史本を予習して本物に挑んだのですが、初っ端のグエル邸でノックアウトです。

 嵐の予感。

 パリのアールヌーボーとはまた、全く違う、命が迸る建築。そう、石の建物なのに血が通っているように感じます。うん?血じゃないな…生命力というか、命の根源のエキスというか。

 ガウディは建築を通して、命の根源を見ようとしているような、そういう印象です。

 サグラダ・ファミリアがまた…

 命を通り越して、世界、宇宙の真理を追究しているような。宗教の根源に迫る「信仰」とは何から生まれてくるかを追求しているようで。

 ガウディの意志を継いで、後継者たちの解釈で建築されていく建物が、全体でみると人間という存在の面白さを感じます。

 ここでは、現代アートとは違う「受け継いでいく」という感覚に溢れていて、それが建物が持つ生命力ととても合っています。居心地いいんです。こういう教会は初めてでした。

 パリやイタリアでも結構教会には行きましたが、サグラダ・ファミリアはそういう教会とは全く違います。人種や宗教を越えて全世界から人が集まるのは、「信仰」の根源にアプローチする建築だからと思いました。

 カサ・バトリョ、コロニア・グエル、グエル公園。

 バルセロナはガウディ一人の建築の魅力で持っているような街でした。

 もちろんタパスも旨かったですけど。

 忘れてはいけない、バルセロナのピカソ美術館。

 ここの一番の見どころは、ラスメニナスかもしれません。

 ピカソがなぜ今も新しいかというと、絵画のオリジナリティを破棄することで、生みの苦しみを排除したことでした。

 さらに恐ろしいことに、他のアーティストが生みだした表現形式を一気に推し進めて、無に帰すこと。

 だから、彼の筆の速さは異常です。

 延々短距離走をしているようなものだから。

 形式の模倣→把握→新しい方向性→他者の追随を許さないスピード。

 この冷酷にして、斬新な絵画手法についていける絵描きは現代でもいません。

 まず、最初の関門「他者の形式の模倣」をすることが、先ず憚られますが、ピカソはそんなこと気にしません。

 理由は簡単です。

 最初からその形式を破壊するつもりだからです。

 パリのピカソ美術館に改めて行って、はっきりしました。

 こんなに冷酷で、華麗で、圧倒的なアーティストだったんだ、ピカソ。

 圧倒されるけど、好きになれない理由も分かりました。

 やだろ、まわりにこんな天才いたら。

 必死に画風を模索して、やっと芽がでたら模倣されて、圧倒的な先見性で先にいかれるんだものな。

 画家殺しですよ。

 この旅では、本当に色々収穫があり、今後の制作に生かせそうです。

 サリュ

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